居酒屋で意気投合した西上とドライブすることになった。
初めてあった男といつそんな約束をしたのか酔っぱらっていてよく覚えてない。自分と同じドライブが趣味だと言っていたから、酔った勢いで誘ったか誘われたのかしたのだろう。
俺が車を出すことになり、西上とは駅で待ち合わせした。
煙たい居酒屋の中で見ても色白で端正な西上の容姿は、明るい日の下で見るとさらに美しく気高かった。
運転は休憩ごとに交代しようと決めていざ出発する。
仕事でこの地を離れていたという西上のリクエストで行先は地元の景勝地に決まった。新緑に輝く山々とその中に点在する滝を目指して車はひた走る。
男同士のドライブは色気もくそもなかったが、最近女と別れたばかりの俺には気分を変えるのにちょうどよかった。
気さくな西上は話題も豊富で話していて面白い。気配りもよくできていて、弁当だけでなくコーヒーやガムなども準備してくれて至れり尽くせりだった。
こいつが女だったらいいのになと、何度目かの交代で運転している西上の整った横顔を眺める。
付き合っていた女は美人ではなかった。色黒で痩せこけていて臆病な小動物のような上目づかいでいつも俺を見ていた。はっきり言ってイライラさせられた。
お情けで付き合ってやったのだ。それはあの女もわかっていたはずだ。なのに、別れを切り出すとしつこく食い下がってきた。
泣こうが喚こうがかわいいとも可哀想とも思えず、今思い出しても蹴り飛ばしてやりたいくらい腹の立つ泣き顔だった。
だが、やっときれいさっぱり縁が切れた。
リフレッシュしたらまた新しい女を見つけなきゃな。
今俺は車窓を流れる緑よりも清々しい気分だった。
ヘッドライトが暗い山道にくっきりと光輪を照らす頃、助手席の西上が黙り込んでしまった。あんなに饒舌だったのに。
「どうした?」
「ん? うん――なんでも、ない」
俺の問いにも歯切れの悪い返事をする。
カーナビに照らされた西上は時々窓外を見るもずっとうつむいたままで、なぜか怯えているようだった。
「な、なんだよ。言えよ」
「なんでもないって」
「なんでもないってことないだろ。言ってくれよ。気になって運転に集中できないよ」
「う、ん――僕の勘違いだと思うんだけど――いや、やっぱりいいよ」
「おいおい、やめてくれよ。よけい気になるだろ。言ってくれってば」
「じゃあ言うけど、さっきから道の脇に何度も同じ女の人が立ってるんだよ」
「え? どういうこと」
「だから、同じ女を何度も何度も見るんだ。最初は見間違いかと思ったんだけど、そうじゃない。道の脇に立っていてこの車をじっと見つめてるんだ」
俺は吹き出してしまった。
「やめてくれよ。その手には乗らないから。いくら退屈でも気色悪い嘘つくなよ」
実際俺には何も見えない。怖がらせようとしているんだなと、その子供っぽさに呆れた。
だが、彼は全く笑っていなかった。
「ほら。また立ってる――」と、ヘッドライトに浮かぶ雑草が繁茂した道の脇を指さし、「赤い花柄のワンピースを着た女」そう言って怯えた目をそらす。
赤い花柄のワンピース――
ぞっとして俺は笑い飛ばすことができなかった。
あの女が好んで着ていた服だ。白地に赤い薔薇が散りばめられていて、襟に高級そうなレースがあしらわれていた。
初デートにそれを着てきた女は裾をひるがえしてくるりと回り、「似合う?」と微笑んではにかんだ。
そんなわけないだろっと心の中で罵倒しながら、「とても似合うよ」と褒めてやった。
頬を染めて薄汚い笑顔を浮かべた女はそれからデートの度にそのワンピースを着てきた。俺へのあてこすりかと思うほどに。
――貯め込んだ金を持っているから付き合ってやったんだ。それ以外に何のメリットがある?
別れた後もしつこいから、我慢していた本音をすべてぶちまけた。
――鏡見たことあんのか? 付き合ってやっただけありがたく思えよ。
ずっとむかついてたんだ、おまえのその顔。金がなければ付き合うわけないだろっ。
それはそうと、そのワンピース似合ってるって本当に思ってんの?
まさか思ってないよね。えっ、なにその目、ウソっ、マジで思ってたの――
あの時の小さな目の奥に宿った絶望の光を見て胸がすくわれ、これで俺の前から消えてくれるとほっとした。
文字通り、女は消えた。遺書を残すことなくマンションの屋上から投身自殺した。
その女がなぜ道の脇に立っている? 考えられることは一つだ。
「どうした?」
ハンドルを持つ手の震えに気付いたのか、今度は西上が聞いてくる。
「え――ああ、いや――なんでもない」
言い淀んでいると、西上がまた怯えた顔を浮かべ道の脇を指さした。
通り過ぎざま横目で見てもやはり俺には何も見えない。だが、彼には見えているのだ。
「車というより君のことをじっと見てるみたいだ」
その言葉に思わずアクセルを踏み込む。
「ちょっと。危ないよ。止まって。止まれってば」
西上の叫びでブレーキを踏んで車を止めた。
「急にどうしたんだよ。危ないだろ」
ハンドルに突っ伏す俺の顔を西上は心配そうに覗き込んでいる。震えが止まらず、返事ができない。
「あっ、また」
その声に顔を上げると西上がヘッドライトに浮かぶ道の真ん中をじっと見ていた。
そこに女が立っているのだと思うと我慢できず、何もかも打ち明けることにした。
これだけのイケメンだ。俺と似たようなことをして女を泣かせているだろう。だから気が合ったのだ。おまえは悪くないと言ってくれるはずだ。
だが、話し終わるまで黙って聞いていた西上が大きく深い息とともに吐き出した言葉は「やっぱりおまえか」だった。
「えっ?」
「妹が自殺した原因はやはりおまえだったんだな」
驚く俺の顔をまっすぐ睨む。
そういえば兄がいると、聞いてもいないのにあの女は自分の家族構成を話していたような――
「じゃ、ワンピースを着た女が立ってるって――」
「うそだよ。妹はちゃんとあの世にいる」
「お前、最初っから俺に復讐しようと近づい――」
突然、西上が両手を伸ばしてきた。細くて長い指が首に絡みつき、力いっぱい絞め上げてくる。手を外そうともがいたが無駄だった。
薄れゆく意識の中で情景が走馬灯のように回り出し、女の話を正確に思い出した。
「わたしには兄がいたの。かっこよくて優しくて素敵な兄だった。両親の離婚で離ればなれになってしまったけど、とても仲が良かったのよ。
でもそんないい人って死神に好かれるのね。事故に巻き込まれて亡くなってしまったの」
じゃ、今、俺の首を絞めてるこいつは?
ごきっと首の骨が折れる音がして、自分の何かが体から引き出されるのがわかった。
気付くと、車外に立っていた。
ハンドルにもたれた自分が窓から見える。青黒く膨れた顔で白目を剥いていた。
「死に逝く者の魂を迎えに行くのが仕事だが、生者を殺して連れて行くのは初めてだ」
背後から西上の声がした。事故で死んだ際、死神に気に入られ同業者になったのだと笑う。
「さあ。妹が待ってる」
西上に背中を押された。
行く道の先は真っ暗で、絶望しか見えなかった。