恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

掌中恐怖 第四話 『ロケ』

2019-03-28 03:32:31 | 掌中恐怖

ロケ

「はい。こちら〇〇商店街です。今人気急上昇中のお店にこれから行ってみたいと思います」
 マイクを持ったリポーターがカメラ目線で歩き始めた。
 すれ違う人たちが珍し気に振り返っていく。
 後ろに映るシャッターの前に立つ女もこっちを見ている。黒っぽい服になにか違和感を覚え、確かめようとテレビに顔を近づけた。だがリポーターの肩に隠れてしまう。
 もう一度見てみたいと映ることを期待したが、遠ざかっていくシャッター前にはもう女はいない。
 まるで消えたみたいだが立ち去る姿がただ死角に入って見えなかっただけだろう。
 だが、喋りながら進むリポーターの背景にまた同じ女が映り込み、確かめようとするもまたすぐ肩に隠れる。
 何度も現れては隠れるを繰り返し、その度にリポーターとの距離が縮まっていく。
 それでわかった。
 服が黒っぽいのは焦げているからなのだと。
「こちらがそのお店です」
 立ち止まったリポーターの肩から焼け爛れた女の顔が覗き込んでいた。


掌中恐怖 第三話 『野次馬根性』

2019-03-27 11:58:58 | 掌中恐怖

野次馬根性

 夕食の準備をしていると外が騒がしくなった。
 野次馬根性丸出しの姑がすっ飛んでいく。
 手伝ってくれもしないでとため息をついていると悲鳴が聞こえた。
 窓から覗くと男が刃物を持って暴れている。
 押し入られては大変だ。急いで玄関に鍵を掛けた。
 姑は――もう助からないだろう。
 怒号と悲鳴が飛び交う中、玄関扉のノブが狂ったように回された。身を縮め台所の隅に隠れる。
 静かになったが、気になって部屋を確かめに行くと開けていた窓に手が掛かっていた。
 慌てて窓ガラスを閉め、錠を掛ける。外でうめき声がした。思いきり閉めたので指を挟んだのだろう。
 遠くからパトカーのサイレンが近づいて来る。でもまだ安心はできない。夫が帰ってくるまでこのまま潜んでいよう。

 かちゃりと鍵が開いて夫が帰ってきた。
「あなたっ、大変だったのよ」
 急いで玄関に出ると夫の後ろに泣き顔の姑が立っていた。手に包帯を巻いている。
「入ろうとしていたのが母さんだって思わなかったのか」
 険しい表情の夫に目を逸らす。
 ふん。知っていたに決まってるじゃない。

恐怖日和 第二話 『廃トンネルの夏』

2019-03-27 01:57:32 | 恐怖日和


廃トンネルの夏

 ――はいっ、「夏が来たっ」ということで、夏と言えば心霊スポット巡り。
 と言いつつ、我が心霊研究会は万年心霊スポット巡りをやっておりますが。
 さて梅雨も明け、本格的な夏がやってきたので、心霊研究会も気持ちを新たに最恐と言われる心霊トンネルの探検に行きたいと思います。
 今回はW町とI町の境、Q峠にある廃トンネル『Q隧道』――通称キュウトン。
 さてメンバーの皆さん、懐中電灯持ちましたか? 
 これから入りまーす!

 茶髪で人好きのする顔の男がリーダーなのか、口上を述べると自撮りの画面がターンし、四人のメンバーが「イェーイ」と両手を上げたり、ピースサインを出したりして大笑いするのが映った。
「――で、このキュウトン、歩いて荷物を運んでいた時代のもので、今、木々をかき分け歩いて来た狭い旧道とともにもうずいぶん昔に使用されなくなりました。
 整備されてない上に狭いので怪我のないよう注意してください。
 聞いてますか? 自己責任ですよ。
 ――では、行きます」
 画面が進み始める。じゃりじゃりと地道を踏む音が流れ、真っ黒なトンネルの入り口がだんだんと近づいてきた。
 楽しそうに談笑するメンバーの顔を映しながら、カメラがトンネルの前に来る。あちこち飛び回っていた懐中電灯の光の筋が苔むした古いレンガ造りに寄り集まった。
 もちろんトンネル内に照明はない。口を開けた闇が光を全部吸収していく。
「――では入ります」
 いったん止まっていた小石を踏む足音が再開した。
 トンネルに入ると各々の光の輪の中に手掘りの岩肌が照らし出された。
「うわっ、掘りっぱなしの壁かよ?」
「怖ェーっ崩れてこないか?」
 口々に話し出すメンバーの声だけで、画面は狭いトンネル内を映している。空き缶やペットボトル、菓子の袋などゴミが散乱し、でこぼこした壁のいたるところに〇〇参上などスプレー塗料の落書きがあった。
「それにしても暑いな」
「夏だからねー」
「ま、そうっちゃそうだけど、普通トンネルの中って外よりも涼しいだろ」
「ホントだっ、この中外よりも暑い気がする。こ、これが心霊現象か?」
「気のせいだよ。コジマ、マジでビビってる?」
「ビビッてねーよ」
「確かに暑いですね。でも思ったより距離があるのが気になります。ネットの情報だと短いトンネルだと書いていたんですが」
「暗闇だからそんなに感じるんじゃないっすか。リーダー」
「うーん。そうかもしれませんが――」
 やっと出口が見えた。向こうには生い茂る木々の葉がライトの光を反射して揺れている。
「おっ、出口っすよ」
 トンネルに出る一歩手前でリーダーの自撮りが始まった。
「――はい。出口に到着です。外よりも暑いということ、思ったより距離を長く感じたこと以外何も起こりませんでした。それが怪奇現象の一部なのかどうかはわかりません。それではトンネルを出ます」
 鬱蒼とした森の中に出ると画面はぐるりと暗い風景を一周した。
「うわっ、怖ぇー」
 コジマの声が震えている。
「木以外なんもないね」
「いや道あるぞ。そこ」
 指さす手の先をたどると下草の踏みしめられた細い道が見えた。
「幽霊出なかったっすね」
 面長の男がカメラ目線で映る。
「残念ですがそんなもんでしょう」
「ところで、ここ何が出るって言ってた?」
 きつい目をした男もカメラ目線で問う。
「ヨシダさん興味津々ですね」
 と笑うリーダーの声に、
「ったりまえだろ。だからお前らについて来てんだ」
「ふふ、そうでした。
 ――えー。このトンネルは廃止されてから誰も来ない場所ということで地元不良たちのリンチの場所に使われていました。もちろん昔の話ですが――」再びリーダーのリポートが始まる。「――それが焼殺人事件に発展し、被害者の霊が出るという噂が出ました。しかも最恐と言われています」
「事件の後、両町の職員が交代で見回りに来るらしいっすね」
「そうです。なのでもう不良は来ませんが、代わりに僕たちのような者が来るというわけで――」
「その職員らは視ねえのか?」
「さあどうでしょう。見回りに来ることで最恐という噂の信憑性が薄くなる気もするんですが、職員たちが視たという可能性もありますし」
「ああいう奴らはあんまり言い触らさねえけどな」
 突然小柄な男子が画面に乱入し、
「――リンチの末に焼き殺された人の霊っ! 
 だからトンネル内はこんなに熱いんじゃないでしょうか?」
 と、カメラに向かってリポート口調になり「夏の『暑い』じゃなくて、火の『熱い』ね」とコジマに向かってにやりとした。
「ナカノ、てめえ、怖ェこと言うなっ」
 神経質そうな細い指をした手がナカノと呼ばれた男子を突き飛ばし画面から弾き出す。
「もう、やめてよ。痛いなぁ」
「コジマ君もナカノ君も危険行為は禁止ですよ」
 二人の顔にリーダーの厳しい声が重なった。
「はあい、すみません。
 っほらぁ、コジマのせいだよ」
 こそこそいつまでも小競り合いの声がする中、画面はトンネルと森を交互に映し、二人の頭をはたいているヨシダに向いた。
「もう戻りますか?」
「んー、リーダーが決めてくれていいよ。でも、ここまで来て戻るってーのもちょっと物足りないねーけどな」
 隣でコジマがあからさまに眉をしかめた。
「もっと先に行こうよ、リーダー」
 ナカノがコジマの怖がる表情を楽しみつつカメラに視線を送る。
「わかりました。じゃ進みましょう。でもこの先の情報はありませんから、各自、十分注意してくださいね。
 ――ではこのまま進むことにします」
 邪魔な枝を両腕でかき分けて進む四人の後姿が映る。
「しかし、木ばっかだな。当たり前だけどよ」
「しかも暑いっす」
「あー暑い。風もねぇし、どういうことだこれ?」
「だからぼく言ったよね。夏の『暑い』じゃなくて火の『熱い』だって――」
「あ~うるさい。ナカノ、マジうるさい」
「お前らやめろっつってんだろ。いらいらするだろうがっ」
「あのー、さっきから思ってたんすけど、虫一匹鳴いてないの変だと思わないっすか?」
 タカハシの言葉でみんな立ち止まった。カメラがタカハシの顔をアップにする。
「僕もそう思ってました。それに鼻の穴にまで感じる熱さ、あながちナカノ君の言ってること間違ってないのかもしれません」
「やめてよぉリーダーまでぇ」
 べそをかくコジマの声が割り込む。
「お前さ、そんな怖がりで、なんでこのチームに入ったんだ?」
 画面がヨシダの呆れ顔から涙を浮かべたコジマに映る。
「ヨシダさんについて来たに決まってんでしょー」
 ぷっと吹き出すリーダーの声が入り「わかりました。もう戻りましょう」と全員の顔を順番に映した後、「――それではここで戻ることにします」と自撮りした。
 再びみなの顔が順に映る。コジマの安心した表情が映った後、くるっと来た方向へカメラがターンした。
「あれ?」
「どうしたリーダー?」
「道がありません」
 ライトに浮かんでいるのは地面を覆う丈高い雑草の壁だった。光を移動させ慎重に探しても今歩いて来た道が見つからない。
「さっきは確かにあったよな」
 ヨシダが唾を飲み込んだ。
「顔に掛かる枝ばっか気にしてたから、途中道がなくなったの気付かんかったんすかね」
 まだ楽観的なタカハシに反してコジマはがたがた震えている。
 ナカノは道を探し出そうと雑草をかき分け始め、タカハシも同じように動き出した。
「みんな、ばらばらにならないでっ」
 リーダーが強く注意したが、二人の姿は雑草に飲み込まれるように隠れてしまった。
「ナカノぉ」
 コジマの哀れな声が聞こえる。
「おいっ、タカハシ、ナカノ、いるのかっ」
 ヨシダが呼びかけると離れた雑草の陰から二人の返事が聞こえた。だが直後に「ぎゃあっ熱いっ」と悲鳴が上がり割れた草むらから赤剥けに爛れた顔のタカハシが出てきた。ゾンビのように前に手を伸ばしよたよたと近づいてくる。
「うわっ」
 コジマが飛び退った。
「熱い――助け――て――」
 そう言うとタカハシは倒れ込んでしまった。
 ヨシダが駆け寄ろうとした時、同じように火傷を負ったナカノも雑草の間から出て来て倒れ込み、パニックになったコジマは悲鳴を上げながら雑草の中に消えた。
 呆然と突っ立ったままのヨシダが突然「熱いっ」と叫び、のたうち始めた。見る見る皮膚が粟立ち、水ぶくれになって破裂していく。
 カメラは上下左右にゆっくり動きながら、一部始終を映していた。
「これはすごいもの撮れましたよ。
 ――ご覧いただけたでしょうか。これはCGやトリックではありません。本物の怪奇現象です」
 画面が急に走り出した。木の枝が弾かれ草むらが左右に割れぐんぐん進んでいく。
「――僕は今逃げています。逃げ切ってこの動画を投稿したい。
 コジマ君はどうなったかわかりませんが、みんなやられました。もう一度言います。これは本物の怪異です――」
 枝や雑草がかき分けられ流れていくシーンに、トンネルを必死で探しているのであろうリーダーの荒い息が重なる。
 木々の間からレンガ造りの一部が見えた。
「あっ、トンネルが見つかりまし――うそだろ――」
 出入り口へ近付く画面にはブロックで塞がれたトンネルが映っていた。
「ここさっきのトンネル? 違うよね――」
 苔むして緑色に変色したコンクリートブロックに近寄る。人力だけでは到底動かすことのできない大型のブロックがアーチのてっぺんまで積まれていた。乱雑に置かれているため隙間はあるが、人が通れるほどには開いていない。そこに光を入れて中を確認する。見覚えのある落書きが見えた。
「やっぱりここだ」というリーダーの呟きが突然「熱いっ」という悲鳴に変わる。
 画面が大きくぶれるとカメラが地面に落ちる音がし、下草のアップが映った。
 映像はそこで終わった。

「なんだこれ」
 作業着を着た初老の男はトンネル内に落ちていたビデオカメラに残された映像を一通り見てから、一緒に画面を覗いていた若い男の顔を見た。
 二人は心霊スポットと噂されるQトンネルの清掃に来たW町の職員だった。隣町と交代で一年に一度、周囲が雪で閉ざされる前に見回りを兼ねてやって来る。
 今年もたくさんのゴミが散乱していた。仕分けしながらゴミを袋に詰めて奥に進み、出口付近でこのカメラを見つけた。いつ落としたものかわからないがまだ電源がつく。落とし主が判明するかと考え、映像を確認していたというわけだ。
「自主映画? ですかね――ほら、何とか方式ってP、P――POV? あんな感じで撮ってんじゃないですか? 心霊スポット探検の態で――でも上手く作ってますね」
「オレにはよくわからんが、今の若者は何でもできるんでうらやましいよ。でも映ってるトンネルってここだよな。どうやったらこんなことできるんだ?
 ほら、ここ」
 男はREWボタンを押し、探検隊がトンネルの出口から森に出るシーンを再生した。
「向こうに出るまで映ってんのは確かにこのトンネルだろ? 森に出てからも映ってるのはこのトンネル。
 でもどうやったらこんなことできんだろうな?」
 男が顔を上げる。そこにはブロックで封鎖された出口があった。隙間から見える外はトンネルのぎりぎりまで木々が密集して昼でも暗い。
 若い男はふっと笑って、
「今の技術ならどうとでもできますよ。どこかの森を撮って、いかにもこのトンネルから出たみたいにしてるんでしょ。火傷のメイクもすごいですね。
 それよりもこれだけのもの作ったのに、なんでこんなとこに落ちてるんでしょ。もったいない」
「ほんとだな。ま、保管してればいずれ問い合わせに来るだろうよ。
 それにしてもこの中は寒いなあ。もう行くか」
 二人はゴミ袋を持ち、陽の差す入口のほうへと戻っていく。
 暗いトンネルにはブロックの向こうで揺れる葉擦れの音だけが静かに響いていた――
 その中に「たすけて」と微かな声が重なる。
 ブロックの隙間に焼け縮れた茶髪と中を覗き込む煮えて白くなった眼があった。


掌中恐怖 第二話 『あの花が咲くたび』

2019-03-25 16:25:17 | 掌中恐怖


あの花が咲くたび

 あの花が咲くたび、子供の頃を思い出す。
 私は病気がちでひ弱な子供だった。食べ物の好き嫌いも激しく、母はずいぶん苦労しただろう。
 食べられたのは青い葱の入った玉子丼だけだった。
 ある日、それを食べた時ひどく苦く感じた。吐き出したがほとんど飲み込んだ後だった。
 母に訴えるとご近所からいただいた花をキッチンに置いたままで料理をしたらしい。葱によく似たその葉を間違って入れてしまったのだという。
 その後、私は気を失い病院に運ばれた。しばらく生死をさ迷ったが、その時のことは覚えていない。
 だが、あれからなぜか病気もケガも一切しなくなった。

 あの花が咲くたび、長じてから知った花の特性について考える。あの花には葉にも茎にも致死性の毒があるのだという。
 あの時母は本当に間違えたのか――
 あれからずっと怯えた目をして見るのはなぜなのか――
 いったい私は何になってしまったのか――

恐怖日和 第一話 『無銭飲食』

2019-03-24 18:58:29 | 恐怖日和

無銭飲食

 浜谷浩太は刑務所に収監されていた。
 罪状は無銭飲食――

 食糧難の現在、食べ物はすべて配給になり、食事というものが最高の娯楽になっていた。
 だが、レストランでの食事は一部の金持ちにしかできないことになっている。
 それでも多数の低所得者のために大衆食堂があり、頑張って稼げば月に一度、人によっては三カ月に一度外食を楽しめるようにはなっていた。
 浩太は一生懸命、朝晩働いて五カ月に一度しか外食ができなかった。
 その日、やっと貯めた金を持って大衆食堂に出かけ、二時間並んだ後、やっと食事にありついた。
 芳しい薫りのサバの塩焼きに茶碗いっぱいのアツアツの米飯。現在配給でも回ってこない青菜のおひたしにかぼちゃの炊いたん。決して個人では手に入らない本物の味噌を使ったわかめの味噌汁。
 浩太はまず匂いを楽しみ、一つ一つの料理を少し口に含んでは味を楽しみ、次にそれぞれを頬張ってボリュームと食感を楽しみ、最後に米飯に味噌汁をぶっかけて掻き込むという一連の作法で食事を満喫した。
 食事が済んだ後は深々とこうべを垂れ、食べられることのありがたさに感謝し、料金を払って終了。
 浩太は決して安くない五カ月間の汗と涙の結晶を食事に使うことに何のためらいもなかった。働くのはこのためと言っても過言ではない。大半の民衆はそうであった。
 浩太は金を支払い、外に出た。
 いつものことだが入口も出口も客であふれかえっている。ともすれば押し流されそうな人混みの間をうまく抜けつつ、家路に向かおうとした。
 後ろからどんっと激しく人がぶつかってきた。振り向きもせず浩太を追い越し、人混みをうまくよけながら走り去った。さっき自分の隣で食事をしていた男だった。
 たくさんの客の中で彼を覚えていたのは、あまりきちんとした作法で食べていなかったからだ。飯もおかずもいっきに口の中にかき込み、慌てて飲み込んでいた。
 口中に残る味の余韻を楽しみながら帰路につくのも作法の一つだ。
 あんなに慌てて帰って、奴は最後まで作法を守らなかったなと浩太は苦笑した。
 突然、手首をつかまれた。
「お巡りさんこっちです。こいつです」
 大衆食堂の店員が血相を変えて、浩太の手首をつかんだまま叫んでいる。
「何するんですか」
 浩太は手を振り払おうとしたが、体格のいい店員の力から逃れることができない。
 巡査が二人、人混みをかき分けて目の前に来た。
「無銭飲食の疑いで逮捕する」
 浩太はわけのわからないまま、反論することも許されず手錠を掛けられ警察署に連行された。
 稼いだ金を大衆食堂につぎ込んでいた浩太には弁護士を雇う金もなかった。たとえ雇えたとしても貧乏人の言うことなど端から聞いてはもらえないだろう。現にどんなに否定しても刑事も検事も浩太の言い分など聞いてはくれなかった。
 浩太は無銭飲食の罪により無期懲役で投獄された。
 無銭飲食は殺人、放火とともに罪は重く、刑務所内では個室に監禁され一切食事が与えられない。
 生命を維持するため必要最低限の栄養剤を注入され、あとは小さなペットボトルの水が一本与えられるだけだ。
 労働も運動もなく食べることから気を紛らわせることができず、途方もなく長い時間、妄想するのは食べ物のことばかり。鶏肉だけのハンバーグ、こんがり焼けたアジの干物に肉より野菜のほうが多い熱々の豚汁――五カ月間の貯めた金を持ってあの食堂で食べた数々の食事が頭に浮かんでは消えていく。
 とりわけ、最後に食べた塩サバの味はまだ思い浮かべることができた。だが、逆にそれがつらくもあった。
 気が狂うのも時間の問題だと浩太はいつも思っていた。だが、投獄されて三年、精神面を守る薬も入れられているのか、それとも人間そうやすやすと狂うものではないのか、浩太の心は壊れることはなかった。
 いや、もしかしたらもう壊れているのかもしれない。頭の中に浮かぶのは両親でも友達でもない。食べ物だけなのだから。湯気の浮かぶクリームシチューを思い浮かべられても、父と母の顔は思い浮かべられなかった。
 いっそ殺してほしい。
 この刑は死刑より辛かった。

 鍵の開ける音がして軋みながら扉が開く。
 浩太は痩せた体を起こし、目をつむったまま囚人服の袖をまくった。毎朝同じ時間に同じことをする、体だけが自然と動いた。
 だが、いつも注射をする看護師のにおいがしない。バターたっぷりのトーストとコーヒーの残り香。
 浩太は目を開けた。
 数人の看守たちとともに入所した時に見たっきりの所長が立っていた。
 所長が深々と頭を下げた。それにならい看守たちも頭を下げる。
 一分間そうしていた所長は頭を上げると、無銭飲食の真犯人が捕まったことを告げ、もう一度頭を下げた。
 別の食堂で無銭飲食したところを捕まり、三年前の罪も自白したという。
 食堂の店員に面通しさせたところ、おぼろげだが犯人の顔を思い出し、隣で食べていた浩太と勘違いしていたことにも気付いた。
 浩太が犯人とぶつかったことも運が悪かったのだろう。
 話を聞き終えると浩太の目から熱い涙がこぼれ落ちた。

 浩太は毎日大衆食堂に通っていた。
 お詫びに何を食べても無料にしてくれる特別なパスを店長からもらったのだ。
 浩太は解放されてから体調が整うまでしばらくの間入院していたが、退院すると同時に食堂に通い詰めた。食べられなかった分を取り戻す勢いだった。
 店員たちはみな愛想よく迎えてくれた。
 浩太のためにと衝立で囲んだ個室を作り、浩太はそこでゆっくりと、思う存分好きなものを食べることができた。
 だが、だんだんと楽しみやありがたみが半減してきたことに気付く。
 あまりおいしいと感じなくなってきたのだ。
 あの辛い日々に浮かべた脳内の食べ物が、今は恋しくて仕方なかった。