恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
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恐怖日和 第三十七話『赤いボール・後編』

2019-09-16 10:36:29 | 恐怖日和

赤いボール・後編


              *

「あら、いらっしゃい」
 再び多永子の不在中に曜子が来宅し、花恵はまた離婚の勧めだろうと思ったが、きょうは少し様子がおかしかった。
「どうしたの? 大丈夫? なんだかやつれたように見えるんだけど?」
「お義姉さん――わたし怖い」
「いったいどうしたっていうの?」
 寒くもないのに震えている曜子をソファに座らせると花恵は温かいミルクを目の前に置いた。
「捨てても捨てても家の中にあるの」
 一口飲んだ後で話し始めたが、花恵には何のことなのかさっぱりわからない。
 マタニティーブルーかしら?
 そう思いながら隣に腰かけて曜子の背中を優しく擦った。
「お義姉さんっ――」
 瞬きもせず顔を見つめる曜子の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「どうしたの? 赤ちゃんのことなら心配いらないわよ。お義母さんもわたしもついてるんだから。
 それとも浩一さんに何かあったの?」
 その問いに、目を見開いたまま首を横に振る。
「じゃ、何か言われたの? 
 浩一さんはまだ情緒不安定なのよ。だから気にしなくていいわ」
 それにも首を振りながら、花恵の手を強く握る。
「赤いボールが家の中にあるの」
「赤い、ボール?」
 ふと記憶の端に引っかかりを感じたが、それが何なのかまだわからない。
「初めは外にあったの。門の前をころころ転がってきて――でも誰もいなくて、近所の子の忘れ物が風で転がってきたのかなって、門の端っこに置いておいたの」
 それで花恵はこの前見た――ような気がした――赤いボールを思い出した。
「だけど、それが門の中にあったの。
 まだ浩一さんは仕事から帰ってなかったから、前を通りがかった人がうちのだと思って中に入れたのかなって思ったの。ほら、由姫ちゃんがいたから――もう亡くなってるの知らないで――」
 花恵の手をつかんで離さない曜子がまたぶるぶる震えだす。
「由姫ちゃんのじゃないの? どこかに忘れていたのを誰かが持ってきてくれたとか?」
 曜子が首を強く横に振る。
「全部捨てたから。わたし全部捨てたから――」
「わ、わかったわ。それでその赤いボールをどうしたの?」
「うちのじゃないからまた外に戻したわ。
 だけど数日経ってから、今度は玄関先に置いてあるのに気付いたの。わたし腹が立って外に投げ捨ててやった――
 でもねお義姉さん――またあったの。今度は家の中――廊下の片隅に――わたし怖くなって、外のゴミバケツに放り込んで翌日のゴミの日に出したの。でもまた家の中に――今度はリビングの隅に――確かに、確かにゴミに出したのよ。袋の中の赤いボールをこの目で見たんだから」
「わ、わかったわ。家の中のはやっぱり由姫ちゃんのボールよ。浩一さんが形見にしてて、時々出しては由姫ちゃんを偲んでるってわけ。それを片づけ忘れただけよ。
 あなたに捨てられて慌ててゴミ袋から回収したんじゃない?
 で、外のボールは別のもの。ただの偶然。
 それをあなたが気味悪がってるだけ。
 にしても浩一さんも罪な人ね。曜子ちゃんの目に触れないよう注意してくれればいいのに。ただでさえ妊娠中は情緒不安定なんだから」
 曜子は再び大きく首を振った。
「違うっ――浩一さんは何も知らない。だってわたしもそう思って訊いたもの。あの赤いボール何なの? って。
 そしたら浩一さんは赤いボールなんてないって言うの。彼には見えてないのよ。
 わたしそれからも何度も何度も捨てたのっ。遠くのよそのゴミ置き場まで捨てに行ったのに必ず戻ってきて家の中に転がってるのよっ。
 お義姉さんっ、わたし怖いっ」
 ほぼ悲鳴のような叫びを上げ、曜子が花恵に抱きつく。
「大丈夫よ、大丈夫。
 きっと曜子ちゃん、マタニティーブルーよ。なんでもないことをそんなふうに妄想しちゃってるだけ。大丈夫。わたしがついてるから」
 背中をゆっくり擦り曜子を落ち着かせながら、もしそれが本当の話なら、これはきっと浩一の仕業に違いないと花恵は思った。
 娘を失くした浩一の心はまだ癒えてないのだ。どういうつもりなのかわからないが、娘に罪悪感を覚え、曜子とそして自分にも苦痛を与えようとしているのではないか、そう思えた。
 花恵の胸で泣く曜子の嗚咽が止まった。
「お義姉さん――妄想なんかじゃないの――わたし、由姫ちゃんを殺した――浩一さんが目を離した隙に、池に突き落とした――」
「え――」
「あの日――浩一さんとあの子が公園に散歩に行った日、内緒で後をつけたの。本当にわたしと結婚する気があるのか確かめたかったから。
 二人はとても仲良くて――親子だから当たり前なんだけど、わたしの入る余地なんてないって思った――だから由姫ちゃんさえいなければって。
 でないとこの子が不憫だもの」
 そう言って自分の腹を抱え大声で泣いた。
「曜子ちゃん。だめよ、もう言わないで。あれは事故なの。それでいいのよ」
「違う。わたしよ。わたしが殺したの。突き落とした瞬間にあの子わたしを見たの。だから復讐しに戻って来たのよ。あれはあの子のボールだわ。だってわたしがプレゼントしたものだものっ」
 泣き喚く曜子を花恵はただ見ているだけしかなかった。

 曜子は落ち着きを取り戻すと、送っていくという花恵を断り一人で帰った。
 この先の身の振りをよく考えると言う曜子に、あれは事故だと何度も言い聞かせた。
 浩一や多永子のことを考えてとは言ったものの、曜子の告白が妄想でなく真実ならこのまま許されることでないのはわかっていた。
 だからその後、天罰が下されたのだ。
 曜子が救急車で運ばれたと連絡を受け、多永子や圭司と病院に駆け付けた時は、母子ともに死亡が確認された後だった。
 仕事から帰宅した浩一が、二階から転げ落ち階段下で倒れていた曜子を発見したという。
 娘の亡骸にすがる多永子の絶叫を聞きながら花恵は病室を出た。
 廊下の暗がりで赤いボールが行ったり来たりを繰り返している。まるで小さな子供が両手を使って楽しそうに遊んでいるかのようだ。
 ボールが急に廊下を走り出し、花恵は後をつけた。
 行きついたのは暗い待合室で、浩一がひとり項垂れ泣いている。
 あっ――
 花恵は目を大きく見開いた。
 浩一の傍らに幼女が佇んでいる。
 会ったことはないが、きっとあの子が由姫ちゃんなのだろう。
 父親の顔を覗き込んでいた幼女が花恵を振り返った。

              *

「あらあら花恵さんったら気を付けて、もうあなた一人の身体じゃないんだから。洗濯物はわたしが干してくるわ」
「お義母さんったら大げさですよ。これくらいは運動のうちなんですから大丈夫です」
 洗濯カゴを持った花恵は慌ててそばに来る多永子に笑った。
「だめよ、両手がふさがったまま二階に上がっちゃ。どんなことが原因で落ちるか転ぶかわからないんですからね。
 あなたはそこでゆっくりお茶でも飲んでなさい」
 そう言ってカゴを花恵から受け取ると二階の干場へと向かう。
「じゃ、お言葉に甘えます」
 そう言いながらソファに深く腰掛け、多永子が入れてくれた妊婦用のハーブティーを飲む。
 あれからすべてが好転し、花恵は今とても幸せだった。
 曜子が亡くなってから多永子は美土里にマンションを買い与え、無事赤ん坊を出産させるため何不自由ない暮らしをさせた。
 だが、美土里は部屋で何かにつまずき激しく転んで結局流産してしまった。
 多永子の失望と憤りはいかほどのものだったのか。
 もともと品性も教養もなかった美土里を多永子は好ましく思っていなかった。マンションを手切れ金代わりにすぐ息子と別れさせ、弁護士を立てて不平不満を吐く美土里を黙らせた。
 圭司も毒気を抜かれ、何事もなかったように花恵のもとに戻って来た。
 その後、夫婦生活は順調で花恵は待望の妊娠をする。
「ありがとうございます、お義母さん」
 二階から下りてきた多永子に頭を下げる。
「いいの、いいの。お安い御用よ。花恵さんには元気な赤ちゃんを産んでもらわなきゃいけないもの」
 洗濯カゴを傍らに置いた多永子が隣に腰かけて、大きくなった花恵のお腹を擦る。
「大丈夫。立派に産んでみせます。
 だって、この子とってもいい子なんですから」
「まあ花恵さんったら、生まれる前から親バカね。
 さあさあ、お茶のお代わり入れましょう。おいしいお菓子もあるのよ」
 キッチンへ向かう多永子に微笑みながら、花恵はお腹に手を当ててささやいた。
「それに約束したもの。願いを叶えてくれたら、わたしがもう一度この世に産んであげるって」


恐怖日和 第三十六話 『赤いボール・前編』

2019-09-15 10:27:19 | 恐怖日和

赤いボール・前編

 毎日が針の筵だった。
 姑の多永子からは子供ができないと嫌味を言われ、夫、圭司は愛人を作ったあげく妊娠させ、自分には非がないとばかりに態度がでかい。
 ここ最近、二人から離婚を仄めかされている。
 わたしは何も悪くない。まだ子供が授からないだけで、医者から「できない」と言われているわけではないのだ。
 なのに、なぜ家から追い出されなければならないの。
 花恵は唇を噛みしめ、ぜったい別れるもんかと日々耐え忍んでいた。

「お義姉さんも大変ね」
 ソファでくつろぎながら曜子がおもたせのケーキを頬張った。
 実家だから来るなとも言えず、毎日来ては時間を潰されるのに辟易していたが、彼女は花恵の唯一の味方だ。
「そうなのよ、でもわたしは別れたくないの」
 カップに紅茶を注ぎながらため息をつく。
「財産のため?」
 嫌なニュアンスを感じ取り、花恵は顔を上げた。
「ウソ、ウソ。ごめんなさい」
 曜子が笑ってごまかす。
 だが、花恵はピンときた。
 きっと多永子に離婚の説得を頼まれたのだ。
「わたしは今でも圭司さんを愛してるのよ」
 曜子の前に紅茶のカップを置くと向かいの席に着く。
「こんなに愛されているのに、お兄ちゃんは何で浮気するかなあ」
「子供が欲しいんでしょ。
 でもわたしだってできないわけじゃないのよ。
 圭司さんもお義母さんも何をそんなに焦っているのやら」
「お兄ちゃんもママも子供好きだからね。お義姉さんがお嫁に来たらすぐ赤ちゃんの顔が見れると思ったんじゃない?」
 そう言って曜子は紅茶を口に含む。
「わたしが妊娠するまで曜子ちゃんの赤ちゃんで我慢してくれたらいいのに」
 ケーキをほじくりながら花恵は曜子のだんだん大きくなっている腹に視線を送った。
「そう言えば、この間お兄ちゃんたち見たよ」
「たち?」
「お兄ちゃんと美土里さん。あの人のお腹まだ大きくなかったわ」
「そう」
 花恵のこめかみがずんっと痛んだ。
「お兄ちゃんあの胸とお尻にやられちゃったのね。バカみたいに大きいのよ。真面目なお兄ちゃんだったからせまられていちころだったんじゃない?
 だからお義姉さん、あんなお兄ちゃんのことなんか忘れて慰謝料ふんだくって別れれば?」
 ほら来た。本題はこれだ。
「それはそうと曜子ちゃんはどうなの? 浩一さんはもう大丈夫?」
 少しレモンの効き過ぎた紅茶を飲み、花恵は話をはぐらかした。
 音を立ててカップを置くと曜子は身を乗り出した。
「うん。もう大丈夫みたい。昨日なんかわたしのお腹を擦って楽しみだって笑ったのよ」
「そう。悲しみは癒えたのね。ホントよかったわ」
 そう言うと曜子が満面の笑みを浮かべた。
 妻に先立たれた子持ち男と三か月前に籍を入れたばかりの曜子は多永子には交際当初から大反対されていた。
 母親にしてみれば溺愛する娘の結婚は完璧なものでなければならない。子連れの再婚やでき婚になるのはどうしても許せなかった。
 そのため母娘の仲がぎくしゃくするようにまでなっていたが、案じていた曜子の妊娠が逆に多永子の心を変えた。
 新しい命が宿ったと知ったとたん、子連れ、再婚、でき婚という多永子にとっての負のキーワードがきれいさっぱり頭から消え去ったのだ。
 だが、今度は浩一の幼い娘、由姫が曜子の前に立ちはだかった。「お姉ちゃん」と言って懐いているはずだったのに結婚話が進むにつれ、だんだん敵意を剥きだしてきたのだ。
 娘を説得するまで結婚に待ったがかかり、その頃の曜子はひどく落ち込み、花恵の目から見てもかわいそうなくらいだった。
 しばらくして由姫が事故で死んだ。
 浩一と遊びに行った近所の自然公園で、目を離したほんの一瞬に池に落ちて溺れ死んだのだ。
 浩一の悲しみはひどかった。自分も後を追って行きかねないくらいだったが、それを救ったのが曜子とそのお腹にいる子供だ。
 曜子は結婚式こそ上げられなかったが、浩一の妻となり彼を献身的に支えていた。
「ずうっと由姫、由姫って泣いてたの。寝言まで名前を呼ぶくらい。
 でもここ最近はわたしを労って家事も手伝ってくれるようになったし――」
 曜子は感極まり声を詰まらせる。
「で、昨日は赤ちゃんのこと楽しみだって笑ったのね。
 よかった。あなた本当によく頑張ったわ。もう大丈夫。うんと幸せになってね」
「お義姉さん、ありがとう」
 そう言って曜子が涙を拭く。
 どいつもこいつもなんで簡単に妊娠するんだろうと思いながら、とにかく話をはぐらかせてよかったと花恵はほっとした。

「せっかく曜子ちゃんが来たのに、結局お義母さん帰ってこなかったわね」
 花恵は曜子を門の外まで見送った。
「う、うん、いいの、いいの。お義姉さんと話がしたかっただけだから」
 本来の目的を思い出したのか、歯切れの悪い返事をしつつ「じゃまたね」と曜子が立ち去る。
「気を付けて」
 手を振って花恵は門扉を閉めようとした。
 門前を赤いボールがころころと転がっていく。
 花恵は門扉の上から首だけ出してボールとその転がって来た方向を確かめたが誰もいなかった。それどころか今見たはずのボールも消えてなくなり、いくら目を凝らしても遠ざかっていく曜子の背中が見えるだけだ。
「いやだわ。目の調子が悪いのかしら?」
 花恵は目を瞬かせながら中に戻った。

恐怖日和 第三十五話『赤い袋』

2019-09-14 10:23:48 | 恐怖日和

赤い袋

 ある路地に血の滴る赤い袋を提げた怪人が出るという。
 中には子供の臓器が入っているらしい。
 怪人の正体は自分の子供の手術に失敗して狂った医者だとか普通では扱えないものを薬にして売っている不老不死の薬売りだとか言われている。
 だがこれは怖い話を語っていた洋介がネタ切れで作り出したウソだった。
 とっさに思いついた話だが、それを聞いた昌也の顔から血の気が引いた。
「ぼ、ぼくきのう見たよ、塾に行く時。ミケおばちゃんの店から二つ目の角を曲がった路地で」
 ミケおばちゃんの店とはみんながよく行く駄菓子屋のことだ。
「うそだぁ」
 まず祐明が否定した。みんなより身体が小さくて一番弱虫だったから怖かったのかもしれない。
「ほんとだよ。顔はうつむいてて見えなかったけど、汚い白衣着た背の高い男の人だった。血みたいな汁がぽたぽた垂れてる赤い袋を持って電柱の陰にじっと立ってた」
 昌也はそれを思い出したのかぶるっと身震いした。
「それで?」
 洋介は一番気の合う昌也が自分のウソ話をフォローしてくれているのだと嬉しくなって続きをうながした。
 昌也は洋介の顔を見てうなずき、
「前を通り過ぎようかどうしようか迷ったんだけど、ぼく怖くて引き返したんだ」
「昌也でも怖かったんだぁ――」
 祐明が唖然となり「そんなのに出会ったらぼくどうしたらいいのぉ」と泣きべそをかいた。
「逃げればいいだけじゃん。昌也みたいに」
 律子が笑う。
「でもぼく足が遅いもん。追いかけられたらきっとつかまっちゃう。そしたら、そしたら――」
 祐明も洋介と同様想像力が豊からしく、頭の中で自分の身体が解体されているところを思い浮かべているのか、そこからしゃべることができなくなった。
「ウソだよ。全部ウソ。こいつら二人してうちらをだましてるんだよ。なっ」
 疑り深い律子が洋介の背中をどんっと叩いた。女だてらに律子の力は強く、洋介は痛さに顔をしかめた。
「ウソじゃないよ。ホントだよ」
 先に昌也が反論した。
 実際のところ、もういいよと思った。これ以上強く言うとこじれてしまって、結局ウソだと白状しても気まずくなる。
「そんなの、いないよっ」
 今まで黙って聞いていた克彦が突然大声で否定した。
 洋介を含めみんな克彦を振り返る。
「ご、ごめん、急に。ぼくも怖くなっちゃって――」
「だよねぇ、いないよねぇ」
 仲間を得た祐明が安心の笑顔で克彦と腕を組んだ。
 克彦は転校したてで、家庭の事情があるのかちょっと暗くて薄汚かった。当然クラスに溶け込めず、藤田先生にグループに加えるよう頼まれたのだ。
 まだまだぎこちない仲間だったけれど、今ので祐明に認知されたみたいだ。
 洋介は自分のウソが少しでも人の役に立ったのだと思った。
 だが。
「ホントだよ。ホントにいたんだってばっ」
 昌也、まだ言ってる。
 洋介はこじれた後で律子に殴られるのが怖くて、今すぐ白状することに決めた。
「もういいよ、昌也。
 みんなごめん。これはぼくのウソでしたー」
「だろ? うちはわかってたよ」
「なんだぁ、よかったぁ」
 律子と祐明はすぐ笑って許してくれた。
 やっぱいい仲間。こういうところ好きなんだ。
 だが、昌也の顔は引きつったままだ。
「ウソって何? 洋介は知ってたんじゃないの? ぼくは本当に見たんだよ」
「もういいよ。君こそぼくにノッてくれたんだろ? ありがと。やっぱ親友だね」
 洋介は昌也の肩をぽんぽん叩いた。
 だが、昌也は今にも泣きそうな顔で首を横に振り続けていた。

          *

 あれはとっさに思いついたウソ話だ。
 もうみんなに白状したのに、なぜ昌也はあんなふうに言い続けるのだろう。
 もしかして本当に赤い袋を持った怪人が存在するの?
 まさか。だってあれは空想上の人物なんだから――
 洋介はみんなと別れ、帰路についていた。
 ミケおばちゃんの店にだんだん近づく。
 昔の日本家屋のままで、今でも店先に昔ながらのポストが置かれていて、お母さんはレトロな感じがいいと言ってここが大好きだ。ここでならたくさん駄菓子を買ってくれるので洋介も大好きだった。
 前を通り過ぎる時、店先で眠るミケがあくびをした。
 夕飯の準備でもしているのか、おばちゃんの姿はなかった。
 一つ目の角を通り過ぎる。
 確か昌也は二つ目の角って言ってたっけ。
 自宅は三つ目の角を曲がるのだが、洋介は試しに二つ目を曲がってみた。
「あっ」
 電柱の陰に背の高い男の人が立っていた。
 昌也の言う通り、汚い白衣を着て、左手にぽたぽたと赤い汁の滴る袋を提げている。
 ほ、本当に怪人がいたんだ。
 洋介に気付いた怪人は右手を上げた。その手の中にきらりと光るものが見えた。
 メスだ。
「ぼうや、手術させてくれるかい? おじさん、猫ばかりじゃ練習にならないんだ」
 目やにを積もらせた両目は焦点が合っておらずどこを見ているかわからない。だが、洋介に話しかけているのは確かだ。
「や、やだよ」
 洋介は首を横に振った。
「お願いだよ。おじさんはね、もう失敗できないんだ」
 怪人の左手が緩んで袋がどしゃっと地面に落ちた。かすかに猫の鳴き声がした。
 電柱の陰から怪人が出て来てふらふらと洋介に近付いてくる。
 逃げなければと思ったが足が動かない。
「やめてよっ」
 突然後ろから声がした。
 振り向くと角に克彦が立っていた。たたっと走ってくると両手を広げ洋介の前に立つ。
「克彦くん」
 自分をかばう友人に洋介は感動したが、次の言葉を聞いて唖然とした。
「お父さんはもう医者じゃないんだ。手術の練習なんてしなくていいんだよ」
「か、克彦君?」
「驚かせてごめんね、洋介君。怪人の正体はお父さんなんだ。君が知っていたなんて知らなかった」
「違っ、本当にぼくの空想――」
 だが泣きじゃくる克彦の耳には届いていない。
「お父さんはすごい外科医だったったんだ。でもミスをして手術中に患者さんを死なせてしまった――」
 それを聞いて怪人の膝が崩れ落ちる。
「克彦君のお父さんは悪くないよ。
 確かに患者を助けるのはお医者の仕事だけど、でも全員助けることなんてできっこないんだから」
 洋介は一生懸命なぐさめた。
「ありがとう。君はとっても優しいね。でもね、みんなお父さんを許してくれなかった。責めて責めて責めまくったんだ。だから、お父さんの心は壊れて――お母さんにも見捨てられて――」
 克彦が地面に泣き伏す怪人――自分の父親に近寄り、その背中を優しくなでた。
「克彦君――」
「確かにお父さんは赤い袋を持っているけど、これ子供の臓器なんかじゃないんだよ。その――野良猫を手術の練習に――だからと言って許されることじゃないけど」
「わかったよ、克彦君。ぼくなにも見なかったことにする。だって怪人の話は本当にぼくの空想なんだから。
 昌也にもちゃんと話して、あれは見間違いだったんだよって説得するよ。きっと大丈夫。
 だからおじさん、大事にならないうちに克彦君のためにも猫殺しをもうやめてください」
 父親は洋介に何度も頭を下げ、克彦はその背中をなで続けた。

「いい友達ができてよかったな」
 ボロアパートの敷地内にひっそり猫の死骸を埋めていた克彦の背後に父が来た。
 克彦は笑顔でうなずく。
「もう手術の練習しないでね」
「わかった。もうしないよ。
 でも手術が出来なければお父さんはお医者に復帰できない。復帰できなければお前を養っていくこともできない。だから、手術の練習をして上手くならなければ――」
 自身の手を見つめる父の目がだんだん焦点を失っていく。
「お父さんっ」
「ああごめん。大丈夫。もう大丈夫だ。手術の練習なんて二度としない。
 でもな、生きていくためにはお金が必要だろ。
 それでお金になる方法をこの人が教えてくれて――」
 そう言いながら後ろを振り返る。
 そこには編み笠を被り行李を背負った男が立っていた。
「この人がお前を高く買い取ってくれるそうだ。子供の臓器はいい薬になるんだって」
 克彦に戻った父の目に焦点がない。
 薬売りは笑いながら血の滴る赤い袋を高々と持ち上げた。


掌中恐怖 第四十一話 『赤いパーカー』

2019-09-12 11:11:17 | 掌中恐怖

赤いパーカー

 隣室から出てきた女性のパーカーを見て驚いた。わたしと同じものを着ていたからだ。
「ど、どうも――」
 お互い気まずい空気が流れ、苦笑を交わす。
 値踏みするようにしばらく見合っていたが、先にその女性がバッグを大事そうに抱え足早に去って行った。
 せっかくフードを被って顔を隠していたのに、ばっちり見られてしまった。でも、それはお互い様ってことで。
 凶器の包丁を隠したバッグを大事に抱え、わたしも家路を急いだ。

恐怖日和 第三十四話『少女から生まれる少女・佳織の場合』

2019-09-11 10:41:17 | 恐怖日和

少女から生まれる少女・佳織の場合

「もう殺ってもいいか」
 美鱗(みうろ)はベッドに横たわる佳織に訊いた。
 だが、腹の虫をぐううと鳴かせながら、弱々しく首を横に振る。
「殺れば腹いっぱい食える。それでも殺らないのか?」
 力なくうなずくのを見て美鱗はふんと鼻を鳴らし、また佳織の奥深くに沈んだ。
 今夜も父の利光から折檻を受けた。
 夕食の際に箸を一本落としてしまったからだ。
 昨日受けた折檻の後遺症で手が震え、箸がきちんと持てなかった。
 まだ一口も食べていないのに佳織はイスから引き摺り下ろされて背中と尻を何度も蹴られ、昨日と同じように右手首をぞうきんでも絞るように思いきりねじられた。
 激しい痛みが全身を襲ったが、佳織は歯を食いしばって泣き声を上げなかった。声を上げればガムテープで口をふさがれ、さらに折檻が長引く。
 そのまま夕食はお預けになった。もうそれが何日も続いていた。
 朝昼は利光が出勤した後に母の亮子が内緒で食べさせてくれたが空腹を満たせる量ではなかった。
 ただでさえ少ない母の分を分けてもらっているからだ。
 朝も昼も食パン一枚だけの亮子もそれ以外のものを口にできない。利光が食材を管理し、ジャム一匙でも足りなければどちらかが折檻された。
 二人は利光に脅え、常に沈んだ暗い目をしていた。
 佳織は幼い頃からずっと虐待を受けてきた。
 保育園に通うようになってから見える部分への暴力はなくなったが減ったわけではなく、見えない部分へつけ加えられているだけなので何も変わらなかった。
 虐待に気付いた保育士が児相に通報しても、しばらく鳴りを潜めるだけで基本的には何も変わらない。
 小学校に入学してからもそれは同じで、周囲の大人たちが佳織を守ることはなかった。
 体調が悪く学校を欠席してから数日経ったある夜。
 佳織は折檻され夕食を抜かれた。
 お腹空いた、あちこち痛い、何か食べたい、もうぶたないで、怖い、もう蹴らないで、痛い、お腹空いた、ご飯食べたい、痛い、喉が渇いた、お水飲みたい、痛い、怖い、お腹空いた、空いた、空いた、ぶたないで、手が痛い、蹴らないで、足も痛い、頭も痛い、痛い、痛い、痛い、お腹空いた――もういやだっ
「殺ってやろうか」
 深い悲しみの底から声がした。
 銀髪の少女が佳織の脳裏に浮かび上がる。
「だれ?」
「わたしは美鱗。お前の奥底からあいつを殺りにきた。
 自由になりたいか」
 佳織は首を横に振った。
「なぜ? 殺れば解放されるぞ」
「だって、パパだもん」
「あれは怪物だ。やらねばお前が殺られる」
 だが佳織は首を横に振る。
 美鱗はふんと鼻を鳴らし、佳織の奥深く沈んだ。

「腹が減ったと思って食わせてやったのに、何だぁっ、何が気に食わないんだぁ? ああっ?」
 その日、やっと夕食を与えられたが、佳織の胃は食べ物を受け付けなくなって吐いてしまった。
 吐しゃ物を拭き取ってももらえず、うつむいたままの佳織の頭を利光が力任せに叩く。
 何の抵抗もなく佳織が椅子から転げ落ち床に倒れ込んだ。そのまま動かないことを気にも留めず、利光は頭を踏みつけ床ににじり、それでもいら立ちを押さえられずに佳織の全身を激しく蹴り続けた。
「あなた――もうやめて――」
 亮子がおどおどと止めに入ったが、大きな手で頬を張られ、それ以上何も言えなくなってキッチンの片隅にうずくまった。
「おらっ、ちゃんと座って食えっ」
 ひとしきり暴力を加えた後、利光が佳織の髪を鷲掴みにし立たせようとした。だが、ぐったりして動く気配がない。
 白目を剥き口から血の混じった泡を吹く佳織に利光は戸惑った。
「お、おい亮子、こいつ様子がおかしいぞ」
 妻を振り返ったが、亮子は膝に顔を埋めて泣くばかりだった。
「おいっ、なんとかしろっ」
 その時、佳織がごふっと咳き込んだ。
「なんだぁ生きてるじゃねえか。心配させんじゃねえっ」
 安堵した利光はつかんでいた娘の髪を投げ捨てるように離した。
 再び倒れ込んだ佳織は手を伸ばし利光の足首をつかんで引っ張った。
 派手に尻もちをついた利光の表情が見る見る紅潮し悪鬼の形相へと変化する。
「てめえっ」
 怒鳴りながら尻を上げた利光だったが、一瞬の差で起き上がった佳織に飛びつかれ、喉元を食い千切られた。
 佳織は美味そうにくちゃくちゃと父の肉を食む。
 利光は娘に食われていく自分を見ながら耐え難い激痛を味わい続けて死んだ。

 亮子は佳織の命の火が消えた瞬間それをすぐ悟った。
 夫の暴力を止めることもできず、うずくまって泣くばかりの自分を情けなく思う。
 でも、わたしは何もしていない。佳織を虐待していたのは、殺したのは、あいつだ。
 膝に顔を埋めて亮子はむせび泣いた。
 だが、なぜか利光は佳織に怯え、悶え苦しみ始めた。
 何が起きてるの? 
 その答えは利光の呼吸が止まってからわかった。
 死んだはずの佳織が目の前に立ち、空ろな表情でじっと自分を見つめている。
 最後にこの子の笑顔を見たのはいつなのだろう。
 亮子はおもむろに腰を上げ、奥の部屋へふらふらと入っていった。

「お前が殺ったのか?」
 縊死した母親の前で佳織は首を横に振った。
 ふんと鼻を鳴らして美鱗が消えていく。
 それを見送りながらぶら下がる母の手を握った佳織はいつまでもそこから離れなかった。