日下太鼓台友好会

毎年、東大阪の生駒山麓で
石切神社秋祭り及び夏祭りに奉納される
日下太鼓台をこよなく愛する人達のブログです

新調太鼓台 布団締め

2021-07-15 20:37:00 | 新調
日下太鼓台と言えば武将の布団締めです

新旧と合戦場面の解説と共にご覧ください

前:源平合戦 源頼朝と平清盛
 

政治的器量と才能によって平家に栄華をもたらした
清盛であったが、
皇室をないがしろにする行為により
冶承4年(1180)7月4日後白川法皇は
平家討伐を源頼朝に命じた
頼朝の拳兵と共に平家討伐の声が高まり
清盛はいたたまれず治承4年12月神戸の福原より京へ戻り
戦わずして治承5年2月「頼朝の首を」と叫び狂死した。
平清盛の日招き、沈む夕日を扇で招き返したとの伝説




向右:桶狭間の合戦 織田信長と今川義元

上洛の軍旅に立った駿河の今川義元が永禄3年5月19日、
尾張の織田信長の奇襲を受けて横死した合戦。
桶狭間の古戦場は愛知県豊明氏有松町で、義元の墓がある




向左:山崎の合戦 明智光秀と豊臣秀吉

天正10年6月13日、信長を倒した明智光秀に対して羽柴秀吉が
京都乙訓群大山崎町で挑んだ弔い合戦。
敗走の途中で光秀は土民の竹槍にて殺害される




後面:関ヶ原の合戦 石田三成と徳川家康

慶長5年9月15日、
徳川家康の東軍と石田三成の西軍が天下をかけて
岐阜県不破郡関ケ原町一帯で激突した合戦。
この合戦に勝利をおさめたことで天下の覇権は
徳川氏の握るところとなり
翌年2月家康は征夷大将軍に任じられ幕府を開く




布団締めも糸色を決める際に

どうしても先代のイメージが強く色々と悩みました

全体的に派手目の印象になりましたが

先代の刺繍を紐解くとその内側は綺麗な刺繍糸が見えたりしました

新調刺繍のような明るめの糸でした

今後の夏祭りでの日差し・UVの劣化が考えられ

先代のような良い風合いになりそうな予感がします

まさに、これからの百年です










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