大震災から一ヶ月。
毎日毎日、新聞、テレビを見るたびに堪えきれず、気がつくと涙がでています。
家を失い、家族を亡くし、友を亡くし、まだまだ行方不明の方が何万人もいるという報道を聞く度に何かできることはないだろうかと思うのですが、現実は何もできず、ただただご冥福をお祈りし、一日も早く復興されることを願うしかありません。
3/11の地震の日、
職場におりましたわたくしは2回目の大きな揺れのあと会社から業務終了、帰宅に向うか待機するかは
自己判断となり、すぐに出ればタクシーがつかまるかもしれないし、しばらくすれば電車も復旧するだろうと思い
とりあえず、同じ方面の人と帰宅に向おうと16時に出発 すでにタクシーは空車はまったく無し。
途中駅に立ち寄り、電車の運行状況を聞くが、5~6時間復旧しないと聞き、とにかく進めるだけ行こうと再び歩きだす。
しばらくすると、不安だった、足が痛くなってきたので歩く速度が低下。
途中、少しだけバスに乗れたが、道路が大渋滞で車、全く動かず、仕方がないので下車
再び、歩き始めるが、私の速度にあわせて歩いてくれている同僚に申し訳なくなってきた。
一緒じゃなければもっと早く歩けるだろうに・・・
レンタカーを借りようか、バイクを買おうか、自転車を買おうか考えるも
車は動かないし、バイクは保険の登録があるしすぐに買えないから
迷わず自転車購入を決めた。
自転車は買わず歩いて帰るという同僚とは途中で別れた。
ラッキーなことに自転車やが見つかったが・・・
しかし、みんな考えることは同じ。自転車購入まで2時間待ち。だが、背に腹はかえられない。
やっとこさ自転車を手にし再び移動開始
購入待ちの間に、娘二人とメールで連絡がつき、就活の会社説明会に行っていた娘1号と途中で合流することができ、
二人乗りで(違反ですが)家路へ・・・無事21:30ごろ着いた。
家に一番に帰っていたのは、たまたま近くに車で仕事に行っていた、だんな君。
家の中は大きな被害もなく、食器棚の中が少し倒れていて、クーラーのカバーが外れて落ちていて、
冷蔵庫のドアが開いてピーピーなりっぱなしだったらしい。
猫は? 茶太郎は少しおびえていたけど、ばろんはいつもと変わりない様子。
夜中2時過ぎに、出かけていた娘2号から、地下鉄が動き出したらしいから行けるところまでこれに乗り
これから家に向うと連絡が入り、その2時間後、朝方4時過ぎに無事帰ってきた。
多くの人が帰宅難民になり、小学校など、多くの場所で非難場所になり帰宅難民を
受け入れていたと知ったのは家に帰り着いてからで、外にいてひたすら歩いている中、
携帯も繋がらない、情報を確認する術がない状態。
「なんとかなるかな」と思い帰ることにしたけど、こういうときには、むやみに動かない方がいい時もあるということを痛感した。
それにしても、地震の直後に送ったメールがだんな君に届いたのは22時ごろ。
手動で問い合わせをかけても受信しなかったそうな。
だんな君の携帯機種が古いせいなのか、、、、しかし、送ったメールが未だに届かないという友人もいた・・・
携帯電話も固定電話も長時間つながらない中、威力を発揮した公衆電話。
すばやく無料化して対応したのは素晴しかったと思います。
みんなが思っていることですが、携帯電話はもう少し使えるように何とかしてくれないと・・
高い料金を払っているのに、肝心なときに使えない道具じゃね~
そんな中、ソーシャルサービス(mixi、twitter) IT電話(skype) クラウドサービス(Gmail)は
利用可能であったことを考えると災害時のインフラ
これからはITサービスも複数使っていたほうがすばやい対応ができるかな。