いつの世の中も、オジさんの事が槍玉に挙げられる事ってありますよネ。実際に「いい年して、何してるの…」と思うような報道がしばしば見受けられます。
ほんの一握りの「変なオジさん」のために「オジさんのイメージが落ちる…」などと言って、チョッと怒っている僕も、ある意味けっこう「変なオジさん」でもあるのですが。
同じ事を何度もブツブツ言うのも典型的なオジさんであるのですが、オジさんとしては正しい事は、きっちり伝えることが大切と思っているからです。
問題は、どうでもいい事をくどくど(同じ事をしつこく繰り返す様と辞書にあり)言うこと。これ非常に問題です。自分は出来るだけその点には気をつけています。でも以前に言った事を忘れてしまっているのですからどうし様もございません。はい、これが一般的なオジさんのパターンです。こんな事、そう言えば以前にも言っていました。
さて、オジさんが若い人より優れているもの?、それは経験です。歳を重ねて身体の各所にガタは来ているものの、ある意味で若い人には体験したことが無い事を何度か体験し、経験として、智恵や知識となって自分自身の「引き出し」に入っている事です。
僕は思います。結果的には、「智恵・知識」として夫々の「引き出し」に入るのですが、その「入り方」が重要なのではないでしょうか。
自分自身の思い・考え・自発的な想念で行動し、その結果として得られた経験と、同じ行動でも、自分以外の人間から促された行動によって得られた経験。体験としての結果は同じように個人の「引き出し」に入って行きます。とは言うものの…
その時点では、引き出しの中身に、そんなに差は無いでしょうが、時間が経てば経つほどその重みには差が生じ、まして数年も経てば、雲泥の差になることでしょう。
一般的(基本的)に人々には、時間と意思・考えることは平等に与えられています。全ての結果は自分の意思が働き「この様になりたい・あのようにないたい」から始まり、行動がともなって時間の経過の差こそあれ、現実としてあらわれてきます。
振り返れば、はっきり言い切れます。頭で理解している事と、身体で判っている事の重みの違いがあるという事を。もちろんその違いが分かる歳になったと言う事ですが。
次の時代を担う人達に言いたい事。結果にとらわれずに、自身で考え、行動してほしいと言う事。使えば使うだけ鍛えられる、頭脳と筋肉・それに加えて、少し後戻りできる時間も持ち合わせている訳ですから。
今?けっこう満足しています。でも出来れば20年前に戻っても… どちらでもOK
えっ本音? そりゃやっぱし・・・・・・・。