KANZAKI'S WALK

real play records から神崎ひさあきの報告

Michael Paulo-1

2007-05-27 22:02:03 | Soul Brother
彼の事を語るには、あまりに多すぎて2~3日はかかる。

Al Jarreau のバックバンドの一員としてインターナショナルになったのは、周知だと思うが、僕にとっては、KALAPANA のパウロだ。
実は、神崎on the road でデヴューする前、学生時代から神崎ひさあきクインテットというバンドで4ビートジャズを中心に都内のライブハウスで演奏していたが、ロック世代の僕等は、その頃からKALAPANAの<Black Sand> という曲を演奏していた。まだフュージョンという言葉もない時代だったが、僕自身は、もう世界では、何かが確実に始まっているという確信をあらためてしたのは、ハワイのバンドのこの曲だったからである。
そして、その後、スカウトされたレコード会社でのデモテープもこの曲から録音して行き、神崎on the road は、デヴューした。

このバンドの一員がマイケル・パウロだったという事は、20年後位に知る事になるのだが、ここから彼との縁は、始まっていたのだ。(このデモテープは、保存してあるので、いつかパウロに聞かそうと思っている。)

その後、1988年リリースの「KANZAKI」のレコーディングに付き合ってもらったリッキー・マイナー(b)が、1990年代初めに、Al Jarreau のツアーメンバーで来日した時、「神崎、いいサックス・プレイヤーがいるので紹介したいから、今からホテルに来てくれ。」と電話があり、紹介されたのがパウロだった。リッキーは、こうやって、いつも、わざわざ僕に誰かを紹介してくれていた。
彼は、現在、全米視聴率no.1のtv 番組<AMERICAN IDOL>のミュージカルディレクターをやっているが、付き合いは、変わらず、 今だ「神崎の為なら、出来る限りの事はするよ。」とも言ってくれる。

その後、パウロとは、来日した時や、僕がL.A. に行った時セッションを重ねてくるうちに僕は、一人の人間として、友人として音楽以外のところで彼から色々な事を学ばせてもらい、僕にとっては、かけがいのない兄弟となった。

これらは、僕の財産となり、生きるスパイスともなっている。

そして、僕等の全ての始まりは、<Black Sand>とリッキーからだった。

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