日々の記録、ときどき本の感想

最近はときどきどころかたまーに本の感想、ほとんど日常の記録です。

2023.6.18

2023-06-18 23:21:15 | 日記

8時からアラームが鳴っていたけど起きられなくて、8時30分頃起床

せっかくの雨が降らない休日なので、洗濯機に服やシーツをギリギリまで詰め込んで働かせる

朝ごはんを食べて、身支度

洗濯を干して、10時からZoomでイタリア語のレッスン

先週に引き続き、テキストのテーマは「イタリアで旅行者に見られない方法」

「Per favore」は「Per cortesia」って言い換えるとネイティブっぽいというポイントが出てくる

ネイティブ並みに話せると思われても困るなーと思いながら聞いていると、「Per favore」は大抵の場合、英語で言う「Please」だと教えられるけど、まったく同じように使えるわけではないという話になる

何かを聞かれて日本語だと「はい、お願いします」というような時、英語だと「Yes,Please」は一般的だけど、イタリア語で「Si,per favore」っていうと違和感があるらしい

正解は「Si,grazie(ありがとう)」

これだと自然に聞こえるとのこと

いつも思うんだけど、イタリア語は教材が少なすぎて入門編以上のことを知るのが難しい気がする

だからこそレッスン受けているんだけど

英語はまぁ当然として、韓国語とかめちゃくちゃ色んなテキストとか媒体があってうらやましい

懐かしのヨン様の韓流ブームから始まって、いま若いコとか韓流アイドルファンいっぱいいて定着したもんね

イタリアのドラマとか流行らないかなーと思ったけど、何ていうかラテン文化はセクシーすぎて、昨今のジェンダーとかセクハラ問題とかに敏感な空気と相性が悪いような気もする(韓国ドラマがどうなのかは実はよく知らない)

イタリア語を習っていても結構性別にこだわるなーと思う

相手の性別がわからないとき、日本語では「〇〇さん」で何の問題も起こらないけど、イタリア語は性別を限定しない敬称がなくて、どうしているんだろう

「先生」も単語の語尾が男性か女性かで変化するから、性別をふんわりさせたまま相手を呼べないような

たまに本当にわからない時あるよね

本人が中性的な雰囲気が好きでそうしているなら間違えても別に何とも思わないんだろうけど、そうばっかりとも限らなくない?

忘れなかったら今度のレッスンの時に先生に聞いてみよう

そのあとは部屋の掃除をして、ソースで和えるだけのパスタを作る

2食分作って、残りは明日のお昼ごはんにする

「成熟スイッチ」の感想を書いて、お昼寝

起きたら夜だった

なんかナマケモノに生まれ変わらなくても、ナマケモノ生活をしている気がする

ご飯を炊いて、マグロすきみ丼となめことオクラのしぐれ和え(なめことオクラを茹でて大根おろしを乗せて麺つゆをかけるだけのもの、名もなき料理だったけどぬめぬめ好きでよく食べるので命名した)を食べる

動画を見ながら、ゆっくり入浴

良く寝たから、明日から1週間たぶんいけるな

 


「成熟スイッチ」

2023-06-18 14:45:42 | 本の感想

この本を手に取ったのは、林真理子さんの本でしかもエッセイだったから。

小説は内容が面白そうなら誰が書いたものでも買うけど、エッセイは筆者のことが好きじゃないと読もうとは思わない。

沢山ある小説やエッセイのうちの一部しか読めていないから、堂々とファンと公言するのはちょっと気が引けるけど、林真理子さんは賢さとミーハーさが同居しているところが大好き。

さらにこのエッセイを読んで、自分とは似ても似つかないから好きなんだなと実感した。

個人的にすごく好きな所が下の3か所。

①「日大の理事長になって世間をあっと驚かせたい気持ちもあったと思います」

この気持ちを自覚して活字に載せてしまうのがなんかすごい。

自己顕示欲は誰にでもあるものだけど、それが強く出ている時ほど自覚をするのが難しいと思う。

林先生(自分に関係ない業界の方を先生と呼ぶのは、なんか会ったこともない芸能人をさん付けで呼ぶようないけ好かなさがあると思っているけど、今はこれがしっくりきた)は元々自己顕示欲が強そうだけど、自分を客観的にみて分析する力も同じくらい強いんだろうなと思った。

私みたいな基本うじうじしている人間からすると、いっそ清々しい。

②「あまりに落ち込んだので、京都に熊を食べに行きました」

なんで?なんでそうなるの??

③「私にとって結婚は『女のフルコース』を味わうための趣味でした」

米とかではない。

もちろん生きるために結婚が必要不可欠な時代や状況もあって、それはそれで必ずしも不幸でもないし、いい面もあるだろうと思っているけど、私も「結婚するかも、したいなー」くらいは思ったことがあるけど、「結婚しなくては!」と思ったことはない。

母は林先生と同世代で、手に職を持っていて自活していける経済力があったけど、「結婚しないといけない」という感覚で結婚した人(と私は思ってる)だから、こういうことに対するスタンスは世代の問題もあるかもしれないけど、最終的には本人の価値観だよね。

私はフルコースは重すぎるから、山菜とろろ蕎麦くらいにしたいと思ってる。

でも山菜ととろろの両方が欲しいと思っているし、あわよくば海老天くらい付けられないかなーという中途半端な欲を捨てられない人間だから、「フルコース味わいたい!」で行動して手にしてしまう人生はホント清々しいなーと惚れ惚れしてしまう。

 

自分で読み返していて、なんか変なところばかり拾ってしまった気がするけど、林先生より先輩の作家の先生からの学びとか、実際に人間関係を築くのに役立ちそうな作法とかが押しつけがましくなく書かれていた。

 

古希に手が届く年齢になられて「もはやおばさんではない」と思ったと書かれている。

私は最近「自分もすっかりおばさんと言われる年になったな」と思うようになった。

集団の中で自分が年長組なことも多くなってきたけど、成熟にはほど遠いなーと思う。

それこそ「もうおばあさんじゃん」って自分で思うようになっても、実は内面はあまり変わらないだろうなーと思う。

でも自分にある選択肢の中でなるべく良い方向にいけるように頑張って、それなりに成熟に向かいつつ好奇心を失わないように日々を送ってゆきたい。

 

あとこの本の後輩との付き合い方のところを読んでいるときにふと思い出したんだけど、自分よりかなり年下の相手と対等に話すのって、実際にそういう場面になると思ってたよりも難しい。

別に無駄に威張るわけじゃないんだけど、ついついおせっかいしたり、余計なアドバイスっぽいことを言いたくなってしまったり。

でも、いくら自分が先に経験していたことだとしても、失敗しない為のアドバイスなんてまず要らないよね。

気を付けよう。