8時くらいに起きようと思ったのに、目が覚めたら9時だった
洗濯機を回しながら朝ごはん
身支度をして、リサイクルセンターに資源ごみを捨てに行く
そのあと猫カフェへ
今日も近くに来てくれたオペラちゃん(ペルシャ猫さん)にお尻を向けられながら過ごす
グリーンのすごく綺麗な目をしているんだけど、なかなかちゃんと見れない
でも後ろから見るお耳も可愛いし、ふさふさしっぽも素敵
その後はスタバへ行って、アーモンドミルクラテとラップサンド
フラペチーノと迷ったけど、結局いつものメニューになった
本屋さんの中にあって選書(という名の座り読み)できる所なので、気になる本を持って座る
「魂手形」の文庫版が広めのスペースをとって展示してあって気になったけど、多分怖いのでまたの機会にする
同シリーズの「三鬼」を読んで、しばらくビクビクしながら過ごしたから、布団を頭までかぶって眠れる冬に読むことにしようと思う
店内をふらふらして、結局「今日もテレビは私の噂話ばかりだし、空には不気味な赤い星が浮かんでる~統合失調症の私から世界はこう見えた~」を読む
漫画で読みやすそうだったし、実際どう見えているのか気になって
必要以上に脳みそが働くことによって、実際にある以上の情報を受けてしまう感じ?
私は「考えがハッキングされているかも?」と似たような感じで、「考えていることが実は全部漏れているのかもしれない」と思ったことはある
ドラマとか映画であった「サトラレ」みたいな感じで
でも結構ブラックなことを考えて外に出さないようにセーブして生きているから、「もし漏れてたらみんながこんな優しくしてくれるはずないなー」と思って、すぐにその心配はかき消えたけど
逆の「サトリ(人の考えが読めてしまう人)」がいるかもしれないと思ったこともある
読まれていたら嫌なこと結構あるなと思ったけど、答え合わせができなくて本当に人の考えが読めているのか妄想なのか判別がつかないはずだから、その時はしれっと嘘を吐き通そうと思っている
作者の方が回復していく過程で、「今の自分にできること・できないことを自覚できるようになりました」と書かれている、横の表(イラスト?)が印象に残った
できる・がんばったらできる(つづけるのはむずかしい)・できないの3つにわかれていた
私は中学校で不登校になったとき、できる・できないの2択で考えて苦しかったような気がする(今は遠い記憶すぎてわりとウロ覚え)
「がんばったらできる」を「できる」にカテゴリーしてしまって、「つづけるのはむずかしい」という自覚がなかったから、出来ないのは自分の努力とか我慢が足りないんだーと思ってひたすら落ち込んでた
今なら、向いてないことを続けるなんてできなくて当たり前じゃんと思う
帰宅して、何となくTverでバラエティ番組を流しながら、レシピ本を捲ったりネットサーフィン的なことをして過ごす
定規を指す「線引き」という言葉が静岡の方言だったことを知る
普通に使っていて、その可能性をまったく考えたことがなかった
18時30分くらいに夕ごはん
冷凍の牛丼と野菜の甘酢漬け
ウォーキングに出る
ゆっくり入浴
このあとはイタリア語の復習→ストレッチ→寝る
リフレッシュできた良き1日だった