先日、箱根の宮の下にある、富士屋ホテルに行って来ました。
1878(明治11)年に建てられた、130年の歴史あるホテルです。
今まで箱根に行く度にいつもここを通ってはいたけれど、中に入ったのは初めてでした。
アプローチは階段を登って行きます。
外国人が好みそうな、日本のイメージ?のオブジェとかが色々あるホテルでした。
最初間違って、花御殿という建物から入ってしまいましたが、フロントはこの建物じゃなかった。
この宿泊棟が一番宿泊費が高く、各部屋にはそれぞれのシンボルのお花があって、部屋と鍵についています。
富士屋ホテルには、花御殿、西洋館、フォレスト館と、敷地に幾つかの宿泊棟があります。
この建物も違った。こちらは歴史あるレストランの「THEフジヤ」が2階に入って入る建物でした。
この2階のレストランには、明日の朝、朝食で行きます。
お庭 綺麗にお手入れされています。
ここが正規の入口でした。 ここから入ってフロントがあります。
回転ドア
左側に温室風のテラススペースがあって、内部はフロントと繋がっています。
テラス風スペースの中は、温室っぽい雰囲気です。
ここから、ロビーに至る途中のインテリアは、赤が多様された、外国の日本レストラン的な感じでした。
ロビー 重厚な感じです。 ↓ 不思議な置物とかがところどころに置かれています
柱の中に、はめこまれた和風の陶器
あちこちにソファー等があって、くつろげるようになっています。
西洋館のあたり こういった赤いじゅうたんの階段や廊下が素敵です。
ロビーあたりは、レストランに来た方とか、宿泊しないけれど見学に来たお客様とかも沢山いるので
昼間は、ざわざわしていますが、お部屋の方に行く廊下などは静かで、あまり人がいない事が多い。
スタッフさんたちは感じ良くて丁寧でした。
私たちが今回泊まったフォレスト館の部屋の中 とても広いです!
フォレスト館は一番新しい(と言っても昭和30年代に作られたんだっけな?)一番お値段の安い棟です。
部屋の窓からの眺望 快晴だったこともあるけれど、みごとです。
「BAR VICTORIA」
宿泊者の特典で、ハッピアワー17時から19時まではノーチャージ(通常1人540円)で、ちょっとお安くドリンク飲めます。
まだ早い時間だったので、お客さんが殆どいなかったです。
これは、ピーチ系のお酒 620円 他にも色々なカクテルや、ジュースやコーラなどもありました。
夜の廊下
カフェ オーキッドだったかな、閉店した後。
お風呂とかプールのあるあたり ちょっと60年代っぽいインテリア
タイルが凄いトイレ
昔ながらのプール なんと水着はただで貸してもらえます。(男女とも)
すぐ近くに大浴場がありますが、そちらは撮影しませんでした。小さいです。
ホテルの中には歴史館みたいのがあって、そこに歴代の著名有名人の泊まった時の様子や、明治・大正時代の風俗とか(ヒゲのコーナーが特に面白い)の写真が多数飾られています。あと、植物園とか、神社とか、山の中を歩く散策路みたいのもありました。全部写真載せると膨大になっちゃうので、辞めます。
翌朝 歴史あるレストランTHE FUJIYA 富士屋ホテルのレストランといえば、ここのレストランの事らしい。
朝食はアメリカンブレックファースト(フルーツジュース+コーヒー+オムレツ+クロワッサンと食パン+サラダ)3000円位か、もうちょっと豪華におかず系オムレツ(蟹のクリームソースオムレツとか)+ヨーグルトとフルーツ、オートミールかコーンフレーク+上記と同じセットで4000円ちょっと等があります。
お味の方は、全体的に美味しかったけど、食パンが焼き立てでなかった。
同じ値段で地下の、もうちょっとカジュアルなレストランでバイキングもやっていて、そちらだと名物のカレーも食べられるそうです。
写真撮影はどんどんどうぞ、って言われたけれど、でも、なんか恐縮したので、あまり写真無しです。
菊華荘 朝食を和食にする人は、ここで食べます。皇室ゆかりの和食亭だそうです。私は見学のみ。
廊下が、ぐるっとあって、雰囲気素敵です!
落ち着いた感じ。
昔風の畳の上にテーブルが置かれていました。
なんだろう? 入口が閉鎖されていたけれど、素敵な建物
以下に長くなってしまいましたが、ホテルの歴史や、日光金谷ホテルとのつながりを。
富士屋ホテルの歴史 文・大澤水紀雄
富士屋ホテルの創業者山口仙之助は1871(明治4)、20歳でサンフランシスコに渡った。そして3年間、寝食を惜しんで稼ぎためた金で7頭の乳牛を買い込み、横浜に戻ったが、牛乳の需要など微々たるものだった。何とか牛を売って手に入ったお金を元手に「箱根に外国人が泊まれるホテルを造る」と決めた。
そして77年、箱根宮ノ下の草分け旅館「藤屋」の敷地建物、温泉の権利をそっくり買収、横浜から洋館建築に慣れた大工、職人を引き連れ、資材を運び込んで3階建ての洋館ホテルを造った。
箱根山中に生まれた本格的リゾートホテルは在留外国人の話題になり大繁盛。チェンバレン、作家のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、医学博士ベルツ等もやってきた。ところが83年12月の宮ノ下大火で富士屋ホテルは全焼してしまったが、仙之助は方々から借金をしまくり、翌年に富士屋ホテルを再開した。
私費でつくった国道
仙之助は1887年、塔ノ沢から宮ノ下まで総延長5.7キロの道路を通した。これが現在の国道1号。
総工費のほとんどは借入金で、弁済のため歩行者1銭5厘、人力車、かご3銭の通行料を徴収した。
1912(大正元)年、病に倒れた仙之助に代わって経営を任された2代目が、長女の婿正造(日光金谷ホテル創業者金谷善一郎の次男)。
彼は、タクシーを国府津から箱根に引っ張ってきたり、バスを走らせた。
仙之助には長男もいたが、彼は文化人で、ホテル経営を野心的にやってくれそうもなかったので、娘に経営センスのすぐれた婿を取ったのだった。
その2代目の金谷正造は、学生時代に病気で1年落第し年下の人間と机を並べるのはいやだと言ってアメリカに行き、次にロンドンへ。自分は柔道家でもないのに柔道教室をつくり、大成功をした。生家の金谷から呼び戻された際、山口仙之助の娘との結婚話が仕組まれていたそうだ。
その後、富士屋ホテルは3代目まで続いた後、その後、国際興業に買収されたそうです。
以上、Web版 有鄰 座談会 箱根に命を吹き込んだ人びと (1) より こちら
日本経済新聞 夕刊 2008年8月21日(木) 掲載こちら
ライバル奈良屋
富士屋開業当時、宮ノ下温泉には「奈良屋」という江戸時代から続く名旅館があった。伝統的な日本旅館で部屋は畳敷きに布団であり、外国人にとってあまり居心地の良いものではなかったが、抜群の接待ぶりに加え、庭園内の茶室でティー・セレモニーが体験できることなどから横浜居留地の外国人に人気が高かった。
対する仙之助は毎日のように小田原まで出向き、横浜から馬車でやって来る外国人がここで人力車や駕篭(かご)を雇って箱根に向かうところを待ち受け、箱根登山の手配や荷物運びまでやって富士屋へ誘導した。また、横浜で外国人向け物資を取り扱う有力商店と組み、夜中に横浜を発つ馬車でパンや肉を小田原に運ばせ、そこから宮ノ下までは人夫が担いで運ぶ方式を編み出した。これによって毎朝、新鮮な洋風ブレックファーストを提供し、宿泊者を喜ばせた。
奈良屋だって負けてはいられない。幕末から外国人に親しまれていた知名度と、外国人を箱根山に案内できるごく少数の案内人をほとんど配下におさめていたこと、宮ノ下大火後に再建した3階建ての豪壮な新築旅館を売り物に逆襲する。
しかし、張り合いに疲れてしまったのだろうか、富士屋開業後15年たった1893年5月、両者は横浜区裁判所で「奈良屋は日本人専用、富士屋は外国人専用」という公正証書を作成、取り交わした。外国人を独占する権利を握った富士屋はその代償として奈良屋に年間400円支払い、もし奈良屋が外人客を泊めた場合、逆に富士屋が日本人客を取った場合は、それぞれ宿泊代の1割を相手側に支払うという、日本のホテル史上例の無い契約であった。契約は1912年末、20年継続された。
その後、戦時中はドイツ、イタリーなど枢軸国の外交官とその家族の宿舎に指定され、終戦後は占領軍に接収され、1954(昭和29)年まで進駐軍およびその家族の保養所になった。1954年、やっと晴れて一般営業ができるようになった。 文・大澤水紀雄
こういった歴史あるホテルが大好きです。ちなみに日光金谷ホテルは、25年位前、日光に行った時、泊まらなかったけれども中を見たくて、ちょっと入って見学してきました。赤いじゅうたんに、豪華な和洋風ミックス?ホテルで、カッコ良かったです。富士屋ホテルとは親戚関係だったんですね。
趣は全然違いますが、いつか長野の金具屋旅館にも泊まってみたいです!
幾つかのサイトから記事の一部を抜粋させてもらいましたが(筆者のお名前やサイトの名前を上に載せました)、問題あれば削除します。
ちなみに、奈良屋ホテルは、もう閉められており、現在は、その場所にナラヤカフェなるものが出来ています。
足湯コーナーや、雑貨店などもかねていて、横に長いです。
そのナラヤカフェの横、登山鉄道の宮の下駅を降りて、すぐのところにある「森メシ」
夜も営業していますが、昼間は窓から絶景が見えて、とても気持ちが良いです。
座席は、奥の方に横一列に並んで座れる座敷の小上がりスペースや、テーブル席等、色々あります。
海鮮かき揚丼セット 1180円位だったかな。
あじさい丼セット 1280円位だったかな。
長くなってすいません。お付き合いくださった方、ありがとうございました。
この雰囲気のホテルはあまり見たことがないです。
内部も素晴らしく格式高いですね。
3000円や4000円の朝食は超高級で凄いと思います。
機会があれば一度泊まってみたいです
これも大作ですね。
ブラタモリみたいな感じでした。
建物や店、食事などの写真だけではなく、奈良屋と富士屋の話に現在の風景など、ワクワクしながら読ませて頂きました。
外国人が日本に来はじめて、ビジネス化した歴史の一端を知ることができました。
建物も独特の雰囲気で著名人が通ったのもわかる気がしました。
私はまだ行った事がないのですが、やっぱり歴史あるホテルの「奈良ホテル」が、ここと雰囲気が似てるそうです。そちらも行ってみたいです。
朝食の値段、高いですよねー。
ホテルは、朝食込みのセット値段とかになっている場合が多いですが、朝食だけ取るとなると、最近は、東京都内のちょっとしたホテルだと、やっぱり3000円位するみたいだとか・・・。
私はケチんぼなので、高級なホテルとか食事に自費を使うことは、滅多になかったりします・・
ブラタモリ、私も見ています。
最近、アシスタントのアナウンサーさんが新しい人に変わりましたね。
前の桑子さんが、好きだったので残念ですが、今度の女性も段々と馴染んで、見慣れて行くと好感抱けそうな感じです。
今週の志摩も、高台から見た風景が、とても綺麗で印象的でした。
どの建物も歴史を感じる素敵な佇まいですね…!!
私の旅行は目的ありきでホテルはどうしてもビジネスホテルになってしまいがちなのですが、ちょっと高めのホテルに泊まってゆったりとした時間と素敵な食事をしてみたいという願望はあります。いつになるやら^m^
箱根と言えば私は箱根駅伝←
箱根駅伝を箱根で生で観るのが一応夢です^m^
私も普段の旅行では、駅から近くて、出来るだけ安いホテルを探します。
今回は、たまたま、ちょっと事情があって、こちらのホテルに泊まることになったんです。
若い頃は、かなり無茶?な激安ホテルばかりに泊まっていましたし、電車も指定席とか特急とかは、無縁だったんですが、最近年を取ってきたら、旅行のスタイルも少しづつ変わって来た感じです。
さすがに無理がきかなくなってきたのと、あと何年生きられるか解らないし、旅行出来るのは、あと何年だろう?と思うと、少々の贅沢はしても良いんじゃないかな・・・とか思うように・・・
箱根駅伝は、私が今住んでいる町を通るんです。知っている場所が一杯写るので、嬉しくなり、毎年見ています。