ゴッホ兄弟と当時パリで活躍していた林忠正と加納重吉の4名をからめて書かれた作品。
タイトルは何度もセーヌが氾濫して水害に遭っても、パリは復活した事からのようです。
小説は、この当時のパリへの賛辞や、素敵に見える場所とか建物の説明も多いです。
冒頭1962年、ゴッホが亡くなった部屋のあるオーヴェール・シュル・オワーズのレストランで、とあるオランダ人とゴッホ研究家の日本人が出合う。
そのオランダ人はゴッホの弟テオの息子だった。
彼は父親宛の手紙を持っていた。その手紙とは、林という日本人から兄ゴッホが亡くなった後、「いつか兄の絵が認められる日が来るよ」という励ましの手紙だった。
最初の方、1874年頃の日本。学生時代英語を勉強する人がメインの中、ちょっと天邪鬼?な性質だったのか、フランス語を選んだ林や加納の人となりが描かれる。どうにかしてパリに行きたい、行くんだ!という林の強い決意と行動力、そこに引き込まれました。
読み終わってから、本当に林忠正という人がいて、小説とほぼ同様であることを知りました。
ゴッホの部分はもちろんのこと、この時代の日本人の林さんの人生、パリでの仕事ぶりや浮世絵とのかかわりあい、また彼を追ってパリに来た(1886年)加納の人柄などがとても興味深かったです。
もっと突っ込んで、その2人の日本人のお話も読みたかったです。
この2人とゴッホ兄弟の交友関係や繋がりは、きっとフィクションなのだと思いますが・・・。
読み終わった後に原田マハさんのインタビューを読んだら、林忠正さんを知ったことが、この作品を書く大きな動機の一つだったそうです。
「ジャポニスム」の仕掛人との出会いは、執筆の大いなる動機のひとつになった。
「当時のフランスにとって日本は開国間もない東洋の小さな島。そこから切り込んでいった林はまさに“侍ジャパン"でした。そんな彼が現代では忘れられた人になっているのが残念だという気持ちがありました」
ジャポニスムの影響下、やがて世界を席巻する印象派。このエピソードを起点にして本作は動き出した。
「日本人がなぜあんなにゴッホに惹かれるか。それはやはりゴッホの絵に浮世絵のような日本美術を感じるからだと確信できました。でも実際に林とゴッホの間に交流があったのかはわかってないんですよね」
ウィキペディアで、本当に写真が載ってて、驚き!
林が執筆した絵入り雑誌『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号( 1886年5月)。日本人自身による西欧への初の日本紹介記事となった
ウィキ
当時の日本では浮世絵は卑しいものとされ、町の浮世絵店でも、歌麿や清長の艶やか浮世絵など存在さえ知らなかった。林も主に工芸品を扱っており、浮世絵に重きを置かなかった。
その後、海外で浮世絵の価格は高騰し、「日本美術イコール浮世絵」という時代が始まったのである。
林が取り扱った浮世絵は優れた作品が多い。それらの浮世絵には「林忠正」の小印が捺され、現在でもその作品の価値を保証するものとされている。彼は「浮世絵を卑しんで、その芸術性を認めないならば、日本から浮世絵は失われてしまうだろう」と日本人に警告している。そして、どれほど金を積まれても優れた作品は手放さず、自分のコレクションとして日本に持ち帰った。だが、林の死後、浮世絵に高い値がついて日本に戻ってきたとき、人々は「浮世絵を流失させた国賊」と林を罵った。だが、彼ほど浮世絵の卓越した芸術性を知り、200年にわたる日本版画のすべてを守った者はいない。
林さんのあまり知られていなかった功績と、近年までの彼への評価がひどいのに憤ります。
かたやゴッホの人生や、ゴッホが日本美術に影響を受けた事、弟のテオとの事は知っていたので驚きは無かったのですが、弟テオの目線で描かれている作品はこれが初めてだったのもあり、目新しさを感じました。
かつては尊敬していた兄だったが・・・、自分がそんな兄や家族を経済的に養っている・・という弟の大変さが切なかったです。
ゴッホの遺作になった木の根
たゆたえども沈まず 原田マハ 2017/10/25
内容紹介
1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出す
タイトルは何度もセーヌが氾濫して水害に遭っても、パリは復活した事からのようです。
小説は、この当時のパリへの賛辞や、素敵に見える場所とか建物の説明も多いです。
冒頭1962年、ゴッホが亡くなった部屋のあるオーヴェール・シュル・オワーズのレストランで、とあるオランダ人とゴッホ研究家の日本人が出合う。
そのオランダ人はゴッホの弟テオの息子だった。
彼は父親宛の手紙を持っていた。その手紙とは、林という日本人から兄ゴッホが亡くなった後、「いつか兄の絵が認められる日が来るよ」という励ましの手紙だった。
最初の方、1874年頃の日本。学生時代英語を勉強する人がメインの中、ちょっと天邪鬼?な性質だったのか、フランス語を選んだ林や加納の人となりが描かれる。どうにかしてパリに行きたい、行くんだ!という林の強い決意と行動力、そこに引き込まれました。
読み終わってから、本当に林忠正という人がいて、小説とほぼ同様であることを知りました。
ゴッホの部分はもちろんのこと、この時代の日本人の林さんの人生、パリでの仕事ぶりや浮世絵とのかかわりあい、また彼を追ってパリに来た(1886年)加納の人柄などがとても興味深かったです。
もっと突っ込んで、その2人の日本人のお話も読みたかったです。
この2人とゴッホ兄弟の交友関係や繋がりは、きっとフィクションなのだと思いますが・・・。
読み終わった後に原田マハさんのインタビューを読んだら、林忠正さんを知ったことが、この作品を書く大きな動機の一つだったそうです。
「ジャポニスム」の仕掛人との出会いは、執筆の大いなる動機のひとつになった。
「当時のフランスにとって日本は開国間もない東洋の小さな島。そこから切り込んでいった林はまさに“侍ジャパン"でした。そんな彼が現代では忘れられた人になっているのが残念だという気持ちがありました」
ジャポニスムの影響下、やがて世界を席巻する印象派。このエピソードを起点にして本作は動き出した。
「日本人がなぜあんなにゴッホに惹かれるか。それはやはりゴッホの絵に浮世絵のような日本美術を感じるからだと確信できました。でも実際に林とゴッホの間に交流があったのかはわかってないんですよね」
ウィキペディアで、本当に写真が載ってて、驚き!
林が執筆した絵入り雑誌『パリ・イリュストレ』誌の日本特集号( 1886年5月)。日本人自身による西欧への初の日本紹介記事となった
ウィキ
当時の日本では浮世絵は卑しいものとされ、町の浮世絵店でも、歌麿や清長の艶やか浮世絵など存在さえ知らなかった。林も主に工芸品を扱っており、浮世絵に重きを置かなかった。
その後、海外で浮世絵の価格は高騰し、「日本美術イコール浮世絵」という時代が始まったのである。
林が取り扱った浮世絵は優れた作品が多い。それらの浮世絵には「林忠正」の小印が捺され、現在でもその作品の価値を保証するものとされている。彼は「浮世絵を卑しんで、その芸術性を認めないならば、日本から浮世絵は失われてしまうだろう」と日本人に警告している。そして、どれほど金を積まれても優れた作品は手放さず、自分のコレクションとして日本に持ち帰った。だが、林の死後、浮世絵に高い値がついて日本に戻ってきたとき、人々は「浮世絵を流失させた国賊」と林を罵った。だが、彼ほど浮世絵の卓越した芸術性を知り、200年にわたる日本版画のすべてを守った者はいない。
林さんのあまり知られていなかった功績と、近年までの彼への評価がひどいのに憤ります。
かたやゴッホの人生や、ゴッホが日本美術に影響を受けた事、弟のテオとの事は知っていたので驚きは無かったのですが、弟テオの目線で描かれている作品はこれが初めてだったのもあり、目新しさを感じました。
かつては尊敬していた兄だったが・・・、自分がそんな兄や家族を経済的に養っている・・という弟の大変さが切なかったです。
ゴッホの遺作になった木の根
たゆたえども沈まず 原田マハ 2017/10/25
内容紹介
1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出す
戦後、日本人が買い集めた絵画を日本に変換してくれたりフランスの文化の成熟度はほんとうにすごいと思います。
おおー、「日本人の知らない日本語」で、そんな事が書かれていたんですね。
フランス人、有難い国民性?ですね。
全然話違うんですが、大阪なおみ選手の東レカップが立川で行われるそうですよね!
以前、「聖★おにいさん」の時かな?今は違うかもしれませんが、日月さんの馴染み場所な話が出て、ふと思い出しました
お返事遅くなり大変失礼いたしました。
コロナ禍の夏ではありますが、平穏に暮らしております。
ワクチン接種も無事に1回目が終了しました!!
さて、僕はこの本を読むまでゴッホについて多くを知りませんでした。
なので結構衝撃的な内容でもありました。
ただ、本作でゴッホの基本を習得したので、次作「リボルバー」ではまた違った切り口でのゴッホを十二分に楽しむことが出来ました。
ああ~ ゴッホの絵を見に行きたい 笑
毎日暑いですねー。
オリンピック開催するまでは、中止すればいいのになーって思っていましたが、無理やり開催してしまったら、もう応援するしか無いよなーと、連日TVで見ています。
私もワクチン接種しました!
早く若年層にも回るといいですよね。
ゴッホは日本人に人気の高い画家さんらしいので、コロナが終わったら、美術館や展覧会で、見られるはず!
早くまた外出自由にできる世の中になってほしいです。