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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第103景 「箕輪金杉三河しま」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第103景 「箕輪金杉三河しま」


大空を羽ばたく鶴と水辺のほとりで立つ鶴の姿が描かれています。

中景には田んぼが広がっていています。
 

三河島


江戸時代、三河島には徳川家康が遷都の際、開墾のため三河から連れてきた伊藤氏などの農家が居住して稲作を行なっていました。

江戸時代、三河島付近は、鶴の飛来地で、農閑期には鶴の餌付けが行われていました。

将軍によって鶴御成(つるおなり)と呼ばれる、ツルを捉える鷹狩りが行われ、捕らえられた鶴は、天皇に献上する慣わしでした。

現在では駅名や保育園の名前などに残るのみとなっています。
 

浄閑寺



浄閑寺(じょうかんじ)は、東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院です。



投込寺(浄閑寺)
浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(一七四三)から大正十五年(一九二六)にいたる、十冊の過去帳が現存する。
遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。
荒川区教育委員会
 


描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。




浄閑寺の駐車場より金杉村があった方面を撮影してみました。



最後に

題名より、箕輪・金杉・三河しまを見渡せたであろう浄閑寺の駐車場より金杉村があった方面を撮影してみました。

現在はマンションや住宅が建ち並んでいます。

現在の様子からは、江戸時代には、一面田んぼが広がり、ツルが飛来していたとは思えませんね。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅
荒川区HP

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