立石熊野神社
概要
東京都葛飾区内を流れる中川蛇行部(中川七曲)の右岸に位置し、陰陽師・安倍清明により当地に熊野大神(熊野権現)を勧請したのが起こりとされています。
社地は元来一辺が約三十間の正五角形をなしたとされ、現在もその痕跡を残しています。
神紋・社紋
烏は、八咫烏(やたがらす)と言われ、神武天皇が熊野から大和へ向かう際、先導した烏で、以来この烏を神のお使いとされました。
また、烏を囲む正五角形は、当社を創建したと伝えられる陰陽師・安倍清明の陰陽五行説の木・火・土・金・水に象どり、境内が造られ今日に伝えられていることを意味します。
主祭神
伊邪那岐命
(いざなぎのみこと)
縁結びの神様・万物創生の神様
速玉男命
(はやたまおのみこと)
事解雄命
(ことさかおのみこと)
祓いの神様
創建
長保年間
(999~1003)
例祭
9月16日
略縁起
社伝によりますと、創祀は平安時代中期の長保年間(999~1003)に陰陽師・安倍清明の勧請によると伝えられています。
陰陽五行説に基づき、三十間五角の境内に、古代の石剣を御神体として、紀州熊野の神を勧請し祀られました。東京における唯一の安倍清明縁りの神社として知られています。
歴史
当社の辺り一帯には古墳群をはじめ、霊石として知られる「立石」等があり、先史時代から集落があった場所として、葛飾区内で最も古い神社の一つです。
鎌倉時代には葛飾に縁りのある御家人・壱岐守・葛西三郎清重の崇敬を得ました。
また江戸時代には、三代将軍・徳川家光や八代将軍・徳川吉宗が鷹狩に当地にお成りの際や徳川御三卿のひとつの田安家の度々の参拝の折には必ず当社より「金烏の守護」を献上したと伝えられています。
境内
御社殿
昭和36年に夫々改築造営されました。
一の鳥居と参道
神門
由緒書
裏参道
熊野神社参集殿と神札所
手水舎となで牛
さざれ石
境内末社
天満宮
祭神
菅原道真公
(学問の神様)
浅間神社
祭神
木花咲耶姫命
(安産・健脚の神様)
稲荷神社
祭神
倉稲魂神
香取神社
祭神
経津主神
香取神社に関しましては撮影し忘れてしまいました。
境内末祠
水神社
水波売神
そのほか
熊野神社児童遊園
ポニー舎
住所
東京都葛飾区立石8-44-31
アクセス
京成線 青砥駅
徒歩8分
最後に
住宅街の中にある立石熊野神社。
鳥のさえずりが聞こえ、木々の緑に癒されます。
境内は綺麗に整えられていて清々しい気が流れていました。
また、敷地内にある幼稚園の子ども達の声を聞くと、こちらも元気になるような気がします。
居心地の良さは星五つ。何度も訪れたいと思わせるとてもいい神社です。
参考
Wikipedia
東京都神社庁HP