リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 五十四 ・僧正・僧都・律師の任命 ・大伴連望多・高坂王の死



日本書紀 巻第二十九 
天命開別天皇 五十四

・僧正・僧都・律師の任命
・大伴連望多・高坂王の死



二月一日、
大津皇子が、
始めて朝政(あさまつりごと)を
聴きました。

三月二日、
僧正(そうじょう)、
僧都(そうず)、
律師(りつし)を任じました。

よってもって、
勅して、
「僧尼の統領(とうりょう)は、
法の如くするように」云々。

十九日、
多禰(たね)に遣わした使人等が、
返りました。

夏四月十五日、
詔して、
「今から以後、
必ず銅錢を用いるように。
銀錢を用いるなかれ」
といいました。

十八日、
詔して、
「銀を用いることを止めることなかれ」
といいました。

二十一日、
廣瀬、龍田の神を祭りました。

六月三日、
大伴連望多(おおとものむらじまぐた)が、
薨(みまか)りました。

天皇は、大いに驚いて、
すなわち泊瀬王(はつせのおおきみ)を
遣わして、
弔いさせました。

なお、
壬申の年の勲績(くんせき)、
及び先祖等の時ごとにあった功を挙げて、

顯(あき)らかに
寵賞(ちょうしょう)をし、
乃ち大紫位を贈りました。

鼓吹(くすい)を発し、
葬いました。

六日、
三位の高坂王(こうさかのおおきみ)が
薨(みまか)りました。



・朝政(あさまつりごと)
天皇が朝早くから正殿に出て、政務をとること。 また、天皇が行なう政治。 朝廷の政務
・統領(とうりょう)
集団をまとめおさめること。また、その人
・多禰(たね)
種子島
・勲績(くんせき)
てがら。功績。勲功
・寵賞(ちょうしょう)
特別に重賞を与えること。また、その賞
・鼓吹(くすい)
笛、鼓などの楽器を鳴らすこと



(感想)

(天武天皇12年)

2月1日、
大津皇子が、
始めて朝政に参加しました。

3月2日、
僧正、僧都、律師を任命しました。

よって、勅して、
「僧尼の統率は、
法の通りにするように」
云々。

19日、
種子島に派遣した使者らが、
帰ってきました。

夏4月15日、
詔して、
「今から以後、
必ず銅錢を用いるように。
銀錢を用いてはいけない」
といいました。

18日、
詔して、
「銀を用いることを止めない」
といいました。

21日、
広瀬、龍田の神を祭りました。

6月3日、
大伴連望多が、
亡くなりました。

天皇は、
大いに驚いて、
そこで泊瀬王を派遣して、
弔いさせました。

なお、
壬申の年の勲績、
および先祖らの
時ごとにあった功績を挙げて、

明らかに寵賞をし、
大紫位を贈りました。

笛、鼓を吹いて、
弔いました。

6日、
三位の高坂王が亡くなりました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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