リートリンの覚書

日本書紀巻第七 登場人物 四


日本書紀巻第七 登場人物 四

速津姫
(はやつひめ)


速見邑の首領


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“速見邑に到着しました。女人がいて速津姫といいました。一処の長でした。”

速見邑(はやみ)の首領です。

景行天皇12年冬10月、
景行天皇は速見邑に到着しました。

その時、一処の首領、速津姫がいて、
自ら迎えました。

そして、鼠石窟には、二つの土蜘蛛がいて、
名は青と白。

また直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)に 
名は打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)とう三つの土蜘蛛がいる。

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するといい、
土蜘蛛の情報を伝えました。




鼠石窟を拠点とする土蜘蛛のひとり


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“二つの土蜘蛛がいて、その石窟に住んでいます。一をといい、二を白といいます。”

鼠石窟を拠点とする土蜘蛛のひとり

景行天皇12年10月、
景行天皇は速見邑(はやみ)に到着。
首領、速津姫(はやつひめ)から、

鼠石窟には、青と白いう二つの土蜘蛛がいて、

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)には、
打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)という三つの土蜘蛛がいて、

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するとの情報を伝えました。

そこで天皇は、
来田見邑(くたみのむら)
行宮(かりみや)を興し、議論。

そして、海石榴(つばき)の木で武器を造り、
それを選ばれた勇猛な兵卒に授けて、
それを使い、山に穴あけ、草を排除し、
石室(いわむろ)の土蜘蛛を襲いました。

青は稲葉(飛田川)の川上にて討たれました。




鼠石窟を拠点とする土蜘蛛のひとり


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“二つの土蜘蛛がいて、その石窟に住んでいます。一を青といい、二をといいます。”

鼠石窟を拠点とする土蜘蛛のひとり

景行天皇12年10月、
景行天皇は速見邑(はやみ)に到着。

首領、速津姫(はやつひめ)から、
鼠石窟には、青と白いう二つの土蜘蛛がいて、

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)には、
打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)という三つの土蜘蛛がいて、

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するとの情報を伝えました。

そこで天皇は、
来田見邑(くたみのむら)
行宮(かりみや)を興し、議論。

そして、海石榴(つばき)の木で武器を造り、
それを選ばれた勇猛な兵卒に授けて、
それを使い、山に穴あけ、草を排除し、
石室(いわむろ)の土蜘蛛を襲いました。

白は稲葉(飛田川)の川上にて討たれました。


打猨
(うちさる)


直入県禰疑野を拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとり


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“直入県禰疑野に三つの土蜘蛛がいます。一を打猨、二を八田、三を国摩侶といいます。”

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)
拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとりです。

景行天皇12年10月、
景行天皇は速見邑(はやみ)に到着。

首領、速津姫(はやつひめ)から、
鼠石窟には、青と白いう二つの土蜘蛛がいて、

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)には、
打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)という三つの土蜘蛛がいて、

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するとの情報を伝えました。

そこで天皇は、
来田見邑(くたみのむら)
行宮(かりみや)を興し、議論。
先に石室(いわむろ)の土蜘蛛を討伐。

次に天皇軍は、
打猨(うちさる)を討伐しようと、
禰疑山(ねぎやま)を越えました。

この時、賊虜の矢が射られました。
そこで、天皇は城原(きはら・竹田市木原)
にひき返し、

水上(かわのほとり)で占いをし、
兵を整えて、

先に八田を禰疑野にて撃ち破りました。

ここで打猨は、
勝ことはできないと思い、
降服を願い出ましたが、

許されませんでした。
皆、自ら洞谷に投身して死んでしまいました。


八田
(やた)


直入県禰疑野を拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとり


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“直入県禰疑野に三つの土蜘蛛がいます。一を打猨、二を八田、三を国摩侶といいます。”

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)
拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとりです。

景行天皇12年10月、
景行天皇は速見邑(はやみ)に到着。

首領、速津姫(はやつひめ)から、
鼠石窟には、青と白いう二つの土蜘蛛がいて、

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)には、
打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)という三つの土蜘蛛がいて、

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するとの情報を伝えました。

そこで天皇は、
来田見邑(くたみのむら)
行宮(かりみや)を興し、議論。
先に石室(いわむろ)の土蜘蛛を討伐。

次に天皇軍は、
打猨(うちさる)を討伐しようと、
禰疑山(ねぎやま)を越えました。

この時、賊虜の矢が射られました。
そこで、天皇は城原(きはら)
にひき返し、

水上(かわのほとり)で占いをし、
兵を整えて、
先に八田を禰疑野で討ちました。


国摩侶
(くにまろ)


直入県禰疑野を拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとり


「日本書紀」では


日本書紀巻第七では、
このように登場しています。

“直入県禰疑野に三つの土蜘蛛がいます。一を打猨、二を八田、三を国摩侶といいます。”

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)
拠点とする、
三人の土蜘蛛のひとりです。

景行天皇12年10月、
景行天皇は速見邑(はやみ)に到着。

首領、速津姫(はやつひめ)から、
鼠石窟には、青と白いう二つの土蜘蛛がいて、

直入県禰疑野(なおいりのあがたねぎの)には、
打猨(うちさる)、八田(やた)
国摩侶(くにまろ)という三つの土蜘蛛がいて、

この五人の土蜘蛛は、
普通の人より力が強く、
また郎党が多く、

皆『天皇の命に従わない』といい、
挙兵して抵抗するとの情報を伝えました。

そこで天皇は、
来田見邑(くたみのむら)
行宮(かりみや)を興し、議論。
先に石室(いわむろ)の土蜘蛛を討伐。

次に天皇軍は、
打猨(うちさる)を討伐しようと、
禰疑山(ねぎやま)を越えました。
この時、賊虜の矢が射られました。

そこで、天皇は城原(きはら)にひき返し、

水上(かわのほとり)で占いをし、
兵を整えて、先に八田を禰疑野にて討ちました



勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。


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