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リートリンの覚書

東京橋巡り 大横川に架かる橋


東京橋巡り

大横川



東京都墨田区・江東区を流れる運河です。

かつては流域によって亥の堀川や大島川と呼ばれていましたが、1965年の河川法改正により大横川に統一されました。

 江戸時代に埋立地に造られた運河で、竪川と大川(現在の隅田川)の間の十万坪と呼ばれる葦原を流れていました。


大横川に架かる橋

平野橋
(ひらのばし)



 木場二丁目から木場一丁目、大横川に架かる橋です。単径間鋼製ガーター橋です。

平成27年に架け替えられました。

所在地
木場二丁目~木場一丁目間大横川


東富橋
(とうとみばし)





富岡二丁目~牡丹三丁目、大横川に架かる橋です。単径間鋼製トラス橋です。

昭和5年に関東大震災復興で架橋され、昭和57年に小改修されています。

所在地
東京都江東区富岡2丁目ー牡丹3丁目


新田橋
(にったはし)



木場五丁目から木場六丁目、大横川に架かる橋です。

現在の橋は平成15年に架け替えられたものです。単径間鋼製ガーター橋。



新田橋(にったはし)
 新田橋は、大横川(旧大島川)に架かり、江東区木場5丁目から木場6丁目を結ぶ、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな橋の人道橋です。
 大正時代、岐阜県から上京し、木場5丁目に医院を開業していた新田清三郎さんが、昭和7年、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたものです。
 当初、「新船橋」と名付けられたが、町の相談役としても人望が厚く、「木場の赤ひげ先生」的な存在であった新田医師は、亡くなった後も地域の人々から愛され、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになりました。
 また、映画やテレビの舞台ともなり、下町の人々の生活や歴史の移り変わり、出会いや別れ、様々な人生模様をこの橋は静かに見守り続けてきました。
 平成十二年の湾岸整備により現在のはしに掛替られましたが、架かっていた橋は、八幡掘遊歩道に大切に保存されています。

「新田橋 諸元」
橋梁型式 一径間単純鋼床版桁橋
橋長 15.0m
橋梁幅員 3.4m


所在地
東京都江東区木場5丁目ー木場6丁目



最後に

東富橋は、角ばった鉄骨で勇壮な感じな橋ですね。

また、新田橋は美しい橋ですな。

「供養橋」として架橋された新田橋。歴史を知るとなんだか悲しくなってきますが、その橋を使ってきた人々の姿が思い浮かびます。

様々な人々の生活を見続けてきた橋。

その姿が少しでも長く見られますように。




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