リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 五十 国譲り 八重言代主神


古事記 上つ巻 現代語訳 五十


古事記 上つ巻

国譲り
八重言代主神


書き下し文


 是を以ち此の二はしらの神、出雲国の伊那佐の小浜に降り到りて、十掬劔を抜き、逆に浪の穂に刺し立て、其の劔の前に跌み坐、其の大国主神に問ひて曰く、「天照大御神・高木神の命以ち、問ひに使はせり。汝が宇志波祁流葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へり。故、汝が心は奈何に」ととひたまふ。尓して答へ白さく、「僕は得白さじ。我が子、八重言代主神、是れ白すべし。然れども鳥の遊・取魚為て、御大の前に往き、未だ還り来ず」とまをす。故尓して天鳥船神を遣はし、八重言代主神を徴し来て、問ひ賜ふ時に、其の父の大神に語りて言はく、「恐し。此の国は、天つ神の御子に立奉らむ」といふ、即ち其の船を蹈み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。


現代語訳


 ここをもち、この二柱の神、出雲国の伊那佐之小浜(いなさのおはま)に降り到りて、十掬劔(とつかのつるぎ)を抜き、逆に浪の穂(なみのほ)に刺し立てて、その剣のさきに跌(あぐ)み坐して、その大国主神(おおくにぬしのかみ)に問いていうことには、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)・高木神(たかぎのかみ)の命により、問い使いにきた。汝が宇志波祁流(うしはける)葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が御子の知らす国と言依(ことよ)さし賜り。故に、汝が心はいかに」とおっしゃりました。しかして、答えていうことには、「僕はお答えできません。我が子、八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)、これがお答えするでしょう。然れども、鳥の遊(とりのあそび)・取魚(すなどり)して、御大之前(みほのさき)に往き、いまだ還って来ません」といいました。故に、しかして、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を遣わし、八重言代主神を徴(め)し来て、問いになられた時に、その父の大神に語りていうことには、「恐(かしこ)し。この国は、天つ神の御子にたてまつります」といい、即ち、その船を蹈み傾けて、天の逆手(あまのさかて)を青柴垣(あおふしがき)に打ち成して、隠れました。



・伊那佐之小浜(いなさのおはま)
島根県出雲市大社町にある砂浜
・十掬劔(とつかのつるぎ)
日本神話に登場する剣の総称
・浪の穂(なみのほ)
波の頂。波がしら。なみのほ
・知らす
「知る」の尊敬語。お治めになる。 統治なさる。 ご支配になる
・鳥の遊(とりのあそび)
鳥を猟する遊び。鳥狩りの遊び
・取魚(すなどり)
魚や貝をとること。すなどること
・御大之前(みほのさき)
出雲国島根郡美保の崎
・天の逆手(あまのさかて)
まじないをするときに、普通とは違った打ち方をする柏手 (かしわで) 。 具体的な打ち方は未詳


現代語訳(ゆる~っと訳)


 こうして、
建御雷神と天鳥船神の二柱の神は、
出雲国の伊那佐の小浜に降り到着して、

十掬剣を抜き、
波の頂に逆さまに刺し立てて、
その剣のさきにあぐらをかいて座り、
葦原中国の大国主神に問いたずねて、

「天照大御神と高木神の命により、
そなたに問うべく遣わされた。

お前が占有している葦原中国は、
我らの御子が
統治すべき国である

、とご委任された。

これにつき、
お前の思いを聞きたい」
といいました。

これに答えて、
「私はお答えできません。

我が子、八重言代主神、
これがお答えするでしょう。

しかし、
鳥や魚の漁をするために、
御大の岬に行って、
まだ帰って来ていません」
といいました。

こういうわけで、
天鳥船神を派遣して、
八重言代主神を呼び寄せて、
問いになられた時に、

その父の大神に語って、
「恐れ多いことです。

この国は、
天津神の御子に献上いたしましょう」
といいました。

そして、
乗って来たその船を踏み傾けて、

天の逆手という、
普通とは違った打ち方をする
柏手 (かしわで) をして、

船を青い柴垣に変えて、
その中に隠れてしまいました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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