第八代・孝元天皇
(こうげんてんのう)
欠史八代(けっしはちだい)
実在が疑問視されている天皇のひとり。
生没年 前273~前158(享年116歳)
在位年 前214(60歳)~前158(116歳)
別名
大日本根子彦国牽天皇
(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
大倭根子日子国玖琉命
(おおやまとねこひこくにくるのみこと)
父
孝霊天皇
母
細媛命
配偶者
皇后・欝色謎命(うつしこめ)
妃・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)
妃・埴安媛(はにやすひめ)
子
大彦命
(おおひこのみこと)
稚日本根子彦大日日天皇
(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
倭迹迹姫命
(やまとととひめのみこと)
一書・少彦男心命
(すくなひこおこころのみこと)
彦太忍信命
(ひこふとおしまことのみこと)
武埴安彦命
(たけはにやすひこのみこと)
略歴
孝元天皇は孝霊天皇の嫡子です。
母は、細媛命といいます。
磯城の県主大目(おおめ)の娘です。
孝元天皇は
孝霊天皇36年に皇太子となりました。
孝霊天皇76年に
孝霊天皇が崩御しました。
孝元天皇元年に即位しました。
孝元天皇4年、
都を軽境原宮に遷しました。
孝元天皇6年、
孝霊天皇を片丘の馬坂の陵に葬りました。
孝元天皇7年、
欝色謎命を皇后としました。
皇后は第一子・大彦命、
第二子・稚日本根子彦大日日天皇、
第三子・倭迹迹姫命を生みました。
妃の伊香色謎命は
彦太忍信命を生みました。
次の妃の埴安媛は
武埴安彦命を生みました。
孝元天皇22年、
稚日本根子彦大日日尊を皇太子としました。
孝元天皇57年9月2日、崩御しました。
日本書紀
現代語訳はこちら
皇居
軽境原宮
陵・霊廟
陵の名は
剣池島上陵
(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)
主な神社
吉備津彦神社(相殿神)(岡山県)
皇居内・皇霊殿(東京都)
そのほか
のちの神功皇后らに仕え活躍した
武内宿禰(たけのうちのすくね)の
曾祖父であるとされています。
孝元天皇・年表
紀元前273年・孝霊天皇18年(0歳)
誕生
紀元前255年・孝霊天皇36年(19歳)
1月 皇太子となる
紀元前215年・孝霊天皇76年(59歳)
2月 孝霊天皇崩御
紀元前214年・孝元天皇元年(60歳)
1月14日 即位
紀元前211年・孝元天皇4年(63歳)
3月11日 都を軽境原宮に遷す
紀元前209年・孝元天皇6年(65歳)
9月6日 孝霊天皇を片丘馬坂陵に葬る
紀元前208年・孝元天皇7年(66歳)
2月2日 欝色謎命を皇后とする
紀元前193年・孝元天皇22年(81歳)
1月14日
稚日本根子彦大日日尊を皇太子とする
紀元前158年・孝元天皇57年(116歳)
9月2日 崩御
紀元前153年・開化天皇5年
2月6日 剣池島上陵に葬られた
略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。
勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。