第七代・孝霊天皇
(こうれいてんのう)
欠史八代(けっしはちだい)
実在が疑問視されている天皇のひとり。
生没年 前342~前215(享年128歳)
在位年 前290(53歳)~前215(128歳)
別名
大日本根子彦太瓊天皇
(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
大倭根子日子賦斗邇命
(おおやまとねこひこふとにのみこと)
父
孝安天皇
(こうあんてんのう)
母
押媛
配偶者
皇后・細媛命
一書・春日千乳早山香媛
(かすがのちちはややまかひめ)
一書・真舌媛
(ました)
妃・倭国香媛
(別名・緪某妹(はえいろね))
妃・緪某弟(はえいろど)
子
大日本根子彦国牽天皇
(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)
彦五十狭彦命
(いさせりびこのみこと・
別名・吉備津彦命(きびつひこのみこと))
倭迹迹稚屋姫命
(やまとととわかやひめのみこと)
彦狭嶋命
(ひこさしまのみこと)
稚武彦命
(わかたけひこのみこと)
略歴
孝霊天皇は孝安天皇の嫡子です。
母は押媛といいます。
おそらく天足彦国押人命の娘でしょう。
孝霊天皇は
孝安天皇76年に皇太子となりました。
孝安天皇102年に孝安天皇が崩御します。
その年の秋、
孝安天皇を、玉手丘上陵に葬りました。
その年の秋、
都を黒田廬戸宮に遷しました。
孝霊天皇元年に即位しました。
孝霊天皇2年、
細媛命を皇后としました。
后は、大日本根子彦国牽天皇を生みました。
妃の倭国香媛は、
倭迹迹日百襲姫命と
彦五十狭彦命と
倭迹迹稚屋姫命
を生みました。
また、
もうひとりの妃・緪某弟は、
彦狭嶋命、
稚武彦命
を生みました。
孝霊天皇36年彦国牽尊を皇太子としました。
孝霊天皇76年崩御しました。
日本書紀
現代語訳はこちら
皇居
黒田廬戸宮
陵・霊廟
陵の名は
片丘馬坂陵
(かたおかのうまさかのみささぎ)
主な神社
孝霊神社(奈良県)
樂樂福神社(鳥取県)
吉備津彦神社(相殿神)(岡山県)
皇居内・皇霊殿(東京都)
そのほか
卑弥呼と同一人物との説もある
倭迹迹日百襲姫命や
四道将軍のひとり・吉備津彦命の父です。
孝霊天皇・年表
紀元前342年・孝安天皇51年(0歳)
誕生
紀元前317年・孝安天皇76年(26歳)
1月 皇太子となる
紀元前291年・孝安天皇102年(52歳)
1月 孝安天皇崩御
9月13日 孝安天皇を玉手丘上陵に葬る
12月4日 都を黒田廬戸宮に遷す
紀元前290年・孝霊天皇元年(53歳)
1月12日 即位
紀元前289年・孝霊天皇2年(54歳)
2月11日 細媛命を皇后とする
紀元前255年・孝霊天皇36年(88歳)
1月1日 彦国牽尊を皇太子とする
紀元前215年・孝霊天皇76年(128歳)
2月8日 崩御
紀元前209年・孝元天皇6年
9月6日 片丘馬坂陵に葬られた
略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。
勉強途中ですので
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。