待乳山聖天
(まつちやましょうでん)
概要
本龍院(ほんりゅういん)は、東京都台東区浅草にあるにある聖観音宗の寺院です。
本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音です。
待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称されます。
例年一月に行われる「大根まつり」でも知られています。
また、浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られています。
本尊
歓喜天(聖天)・十一面観音
創建
推古天皇三年
別名
待乳山聖天
(まつちやましょうでん)
しょうでんさま
略縁起
隅田川沿いの小高い丘(待乳山)は、推古天皇三年九月に出現し、龍が守護したと伝えられています。
推古天皇九年にこの地方が旱魃に見舞われた時、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えらています。
境内
本堂
待乳山聖天台東区浅草七丁目四番一号 本龍院待乳山聖天は、金龍山浅草寺の支院で正しくは、待乳山本龍院という。その創建は縁起によれば、推古天皇九年(六〇一)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し、人々を救ったため「聖天さま」として祀ったといわれる。ここは隅田川に臨み、かつての竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっている。とくに、江戸初期の歌人戸田茂睡の作、哀れとは夕超えて行く人も見よ待乳の山に残す言の葉の歌は著名で、境内にはその歌碑(昭和三十年再建)のほか、石造出世観音立像、トーキー渡来の碑、浪曲双輪塔などが現存する。また、境内各所にほどこされた大根・巾着の意匠は当寺の御利益を示すもので、大根は健康で、家和合、巾着は商売繁盛を表すという。一月七日大般若講大根祭には多くの信者で賑う。なお、震災・戦災により、本堂などの建築物は焼失、現在の本堂は昭和三十六年に再建されたものである。平成十一年三月台東区教育委員会
待乳山聖天入り口
歓喜地蔵尊
石造出世観音立像
手水舎
神楽殿
稲荷尊
銅造宝篋印塔
銅造宝篋印塔(台東区有形文化財)台東区浅草七丁目四番一号 本龍院宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」という経典に基づいて造立された塔である。本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。基礎に刻まれた銘文から、天明元年(一七八一)に鋳物師西村和泉守が制作し、蔵前の札差等十六名が奉納したものであることが分かる。西村和泉守は、江戸時代から大正時代にかけて、十一代にわたり鋳物師を務めた家で、本塔の作者は五代西村政平にあたると考えられる。
銅造の宝篋印塔は全国的にも類例が少なく、とくに区内では造立当初からほぼ完全な形で造られた唯一の事例である。各部の装飾は優れており、鋳物師の高い技能を知ることができる。また、蔵前の札差の奉納物としても貴重な歴史資料である。
平成十四年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
平成十九年三月台東区教育委員会
天狗坂
狛犬
住所
東京都台東区浅草7-4-1
アクセス
東京メトロ銀座線 浅草駅
徒歩10分
都営浅草線 浅草駅
徒歩10分
東武スカイツリー線 浅草駅
徒歩10分
最後に
隅田川西側の小丘、待乳山。江戸時代から文人墨客に愛された景勝の地でした。
そんな丘からの景色はどのようなものなのかと思い、訪れてみました。
実際見てみますと、木々が生い茂り、隅田川は、ほんの少ししか見ることができませんでした。
江戸時代の文人墨客が見たであろう景色とは、全く違う景色ですが。
これはこれで、スカイツリーが地上から見上げるものとは違った角度から眺めることができ、素晴らしい体験をすることができました。
参考
Wikipedia
待乳山聖天HP