リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十九 ・無遮大會



日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 五十九

・無遮大會



十一年春正月七日、
公卿大夫等を饗(もてな)しました。

十一日、
天下の鰥寡(やもめ)、孤獨、
篤癃(あつえひと)、
貧しくて自ら生きていけない者に、
稻を賜りましたが、各々差がありました。

十六日、
公卿、百寮を饗(もてな)しました。

二月二十八日、
直廣壹の当麻真人国見
(たぎまのまひとくにみ)を
東宮大傅
(とうぐうのたいふ)
としました。

直廣參の路真人跡見
(みちのまひととみ)を
春宮大夫
(しゅんぐうのかみ)とし、

直大肆の巨勢朝臣粟持
(こせのあそみあわもち)を
亮(すけ)としました。

三月八日、
無遮大會(かぎりなきおがみ)を
春宮で設けました。 

夏四月四日、
満選者(かうぶりたまわるべきひと)に、
淨位から直位に至るまでを授けましたが、
各々差がありました。

七日、
吉野宮に幸しました。

十四日、
使者を遣わして、
廣瀬と龍田を祀りました。

この日、
吉野からかえりました。



・鰥寡(やもめ)
単身者
・篤癃(あつえひと)
危篤の人。重病人。あつえひと
・東宮大傅(とうぐうのたいふ)
律令制で、皇太子の教育をつかさどった官
・春宮大夫(しゅんぐうのかみ)
春宮坊の長官。みこのみやのつかさのかみ
・亮(すけ)
副長官
・満選者(かうぶりたまわるべきひと)
考選の年齢に満ちたもの



(感想)

持統天皇11年春1月7日、
公卿大夫たちを饗応しました。

11日、
天下のやもめ、孤独、重病人、
貧しくて自活できない者に、
稲を与えましたが、各々差がありました。

16日、
公卿、百寮を饗応しました。

2月28日、
直広壱の当麻真人国見を
東宮大傅としました。

直広参の路真人跡見を
春宮大夫とし、

直大肆の巨勢朝臣粟持を
亮(すけ)としました。

3月8日、
無遮大会を春宮で設けました。 

夏4月4日、
考選の年齢に満ちたものに、
淨位から直位に至るまでを授けましたが、
各々差がありました。

7日、
吉野宮に行幸しました。

14日、
使者を派遣して、
広瀬と龍田を祀りました。

この日、
吉野からかえりました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



←前のページ <<< >>>次のページ→


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事