リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 五十八 ・資人を与える



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 五十八

・資人を与える



九月十五日、
直大壹を若桜部朝臣五百瀬
(わかさくらべのあそみいほせ)に
贈りました。
あわせて、賻物を賜りました。
元から従った功をあらわしたのです。

冬十月十七日、
右大臣の丹比真人
(たじひのまひと)に
輿(こし)と杖を賜りました。
致を哀しんだのです。

二十二日、
仮に、
正廣參の位の右大臣の
丹比真人に、
資人(しじん)・百二十人を賜りました。

正廣肆の大納言の
阿倍朝臣御主人
(あへのあそみみぬし)、
大伴宿禰御行
(おおとものすくねみゆき)には、
並びに八十人。

直廣壹の
石上朝臣麻呂
(いそのかみのあそみまろ)、
直廣貳の
藤原朝臣不比等
(ふじわらのあそみふひと)には、
並びに五十人。 

十一月十日、
大官大寺の沙門の弁通(べんつう)に、
食封・四十戸を賜りました。

十二月一日、
勅旨して、
金光明經を読むために、
毎年十二月の晦日(みそか)に
淨行者・十人を度させることにしました。



・資人(しじん)
奈良・平安時代の下級官人。 親王や上級貴族に与えられ、主人の警固や雑務に従事した
・晦日(みそか)
30日



(感想)

(持統天皇10年)

9月15日、
直大壹を若桜部朝臣五百瀬に贈りました。
あわせて、賻物を与えました。
壬申の乱で初めから従った功績を
あらわしたのです。

冬10月17日、
右大臣の丹比真人に
輿と杖を与えました。
致仕を哀しんだのです。

・致仕(ちし)
官職を退いて引退すること

22日、
仮に、
正広参の位の右大臣の丹比真人に、
資人・120人を与えました。

正広肆の大納言の
阿倍朝臣御主人、
大伴宿禰御行には、
並びに80人。

直広壱の石上朝臣麻呂、
直広弍の藤原朝臣不比等には、
並びに50人。 

11月10日、
大官大寺の沙門の弁通に、
食封・40戸を与えました。

12月1日、
勅旨して、
金光明経を読むために、
毎年12月の30日に
淨行者・10人を
得度させることにしました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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