古事記 上つ巻 現代語訳 四十八
古事記 上つ巻
国譲り
阿遅志貴高日子根神
書き下し文
此の時阿遅志貴高日子根神到て、天若日子の喪を弔ふ時に、天より降り到れる天若日子の父、亦其の妻、皆哭きて云はく、「我が子は死なず有り祁理」「我が君は死なず坐し祁理」と云ひ、手足に取り懸かりて、哭き悲しぶ。其の過てる所以は、此の二柱の神の容姿、甚能く相似れり。故是を以ちて過てるなり。是に阿遅志貴高日子根神、大く怒りて曰く、「我は愛しき友に有り。故弔ひ来つらくのみ。何ぞ吾を、穢き死に人に比ぶる」と云ひて、御佩せる十掬劍を抜き、其の喪屋を切り伏せ、足以ちて蹶ゑ離ち遣りき。此は美濃国の藍見河の河上に在る喪山ぞ。其の持ち切れる大刀の名は、大量と謂ふ。亦の名は神度劍と謂ふ。故、阿遅志貴高日子根神は、忿りて飛び去りし時に、其の伊呂妹、高比売命、其の御名を顕さむと思ふ。故、歌ひ曰く、
天なるや 弟棚機の
項がせる 玉の御統
御統に 足玉はや
み谷 二渡らす
阿遅志貴高日子根神ぞ
此の歌は夷振なり。
現代語訳
この時、阿遅志貴高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)が到て、天若日子(あめわかひこ)の喪を弔う時に、天より降り到れる天若日子の父、また、その妻は、皆、哭きて、いうことには、「我が子は、死なず有り祁理(けり)」「我が君は、死なず坐し祁理(けり)」といい、手足に取り懸かりて、哭き悲しみました。その過った所以は、この二柱の神の容姿が、甚だ能く相似していました。故に、ここをもって過ったのです。ここに、阿遅志貴高日子根神は、大いに怒りていうことには、「我、愛しき友に有り。故に、弔い来たのだ。何ぞ、吾を、穢き死に人となぞえるのだ」といって、御佩(みはか)せる十掬劍(とつかのつるぎ)を抜き、その喪屋を切り伏せ、足をもって蹴り離ちました。これは、美濃国(みののくに)の藍見河(あいみのかわ)の河上に在る喪山(もやま)です。その持ち切れる大刀(たち)の名は、大量(おおはかり)と謂います。またの名は神度劍(かむどのつるぎ)と謂います。故に、阿遅志貴高日子根神は、忿(いか)りて飛び去りし時に、その伊呂妹(いろも)、高比売命(たかひめのみこと)は、その御名を顕そうと思いました。故に、歌いいうことには、
天なるや 弟棚機 (おとたなばた) の
項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)
御統に 足玉(あなだま)はや
み谷 二渡らす
阿遅志貴高日子根神ぞ
この歌は夷振(ひなぶり)なり。
・御佩(みはか)せる
腰におつけになる
・十掬劍(とつかのつるぎ)
日本神話における神々が持つ神剣の総称。「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えらる
・美濃国(みののくに)
旧国名。濃州とも。東山道の一国。現在の岐阜県南部
・喪山(もやま)
伝承地は、岐阜県美濃市大矢田
・伊呂妹(いろも)
同母妹
・弟棚機 (おとたなばた)
若い機織り姫)
・御統(みすまる)
多くの玉を緒に貫いて輪とし、首にかけたり腕に巻いたりして飾りとしたもの
・夷振(ひなぶり)
歌曲名。神代紀に夷曲と名づけるもので謡法とみられる
現代語訳(ゆる~っと訳)
この時、
阿遅志貴高日子根神がやって来て、
天若日子の喪を弔った時に、
天より降りやって来た
天若日子の父、また、その妻は、
皆、大声で泣いて、
「我が子は、死なず生きていた」
「我が君は、死なず生きていらっしゃった」
といい、
手足に取りすがって、
大声で泣き、悲しみました。
その間違いがあったわけは、
この二柱の神の容姿が、
非常によく似ていたからです。
こういうわけで、
間違ってしまったのです。
ここに、
阿遅志貴高日子根神は、
大いに怒って、
「俺は、愛しき友である。
だからこそ、
弔いに来たのだ。
それなのにどうして、
俺を、
穢れた死者と見間違えるのだ」
といって、
腰につけた十掬剣を抜き、
その喪屋を切り倒し、
足で蹴り飛ばしてしまいました。
これは、
みののくにの藍見河の上流に在る喪山です。
その手に持ち、
切った大刀の名は、
大量といいます。
またの名は、
神度剣といいます。
こういうわけで、
阿遅志貴高日子根神は、
怒って飛び去った時に、
その同母妹の高比売命は、
その御名を明らかにしようと思いました。
こういうわけで、
歌い、
天にいる 若い機織り姫が
うなじにかけている 首飾りの玉
一連になる 足首の飾りにつけた玉
三つの谷を 谷二つを繋いで渡る
阿遅志貴高日子根神よ
この歌は夷振です。
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。