古事記 中つ巻 現代語訳 二十二
古事記 中つ巻
懿徳天皇
(いとくてんのう)
書き下し文
大倭日子鉏友命、軽之境丘宮に坐して、天の下治らしめしき。 此の天皇、師木県主の祖、賦登麻和訶比売命、またの名は飯日比売命を娶ひて、生れませる御子、御真津日子訶恵志泥命、次に多芸志比古命。二柱。故御真津日子訶恵志泥命は、天の下治らしめしき。次に多芸志比古命は、血沼之別、多遅麻之竹別、葦井之稲置の祖。天皇の御年、肆拾伍歳)。御陵は畝火山の真名子谷の上に在り。
現代語訳
大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)は、軽之境丘宮(かるのさかいおかのみや)に坐(いま)して、天の下を治(し)らしめました。この天皇は、師木県主(しきのあがたぬし)の祖(おや)、賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)、またの名は飯日比売命(いいひひめのみこと)を娶(めと)いて、お生れになられた御子は、御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしね)、次に多芸志比古命(たぎしひこのみこと)。二柱です。故、御真津日子訶恵志泥命は、天の下を治らしめました。次に多芸志比古命は、血沼之別(ちぬのわけ)、多遅麻之竹別(たじまのたけのわけ)、葦井之稲置(あしいのいなき)の祖です。
天皇の御年は、四十五歳。御陵は畝火山(うねびやま)の真名子谷(まなこだに)の上に在ります。
・軽之境丘宮(かるのさかいおかのみや)
伝承地・奈良県橿原市白橿町
・真名子谷(まなこだに)
宮内庁比定地は橿原市西池尻町
現代語訳(ゆる~っと訳)
大倭日子鉏友命は、軽の境丘宮においでになられ、天下を統治しました。
この天皇は、師木県主の祖先の賦登麻和訶比売命、またの名は飯日比売命と結婚して、お生れになられた御子は、御真津日子訶恵志泥命、次に多芸志比古命。二人です。
御真津日子訶恵志泥命は、天下を統治しました。
次に多芸志比古命は、血沼之別、多遅麻之竹別、葦井之稲置の祖先です。
天皇の御年は、45歳。御陵は畝火山の真名子谷のほとりにあります。
続きます。
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