古事記 中つ巻 現代語訳 二十五
古事記 中つ巻
孝霊天皇
(こうれいてんのう)
書き下し文
大倭根子日子賦斗邇命、黒田の廬戸宮に坐して、天の下治らしめしき。此の天皇、十市県主が祖、大目の女、名は細比売命を娶ひて、生れませる御子、大倭根子日子国玖琉命。一柱。また春日千千速真若比売を娶ひて、生みませる御子、千々速比売命。一柱。また意富夜麻登玖邇阿礼比売を娶ひて、生みませる御子、夜麻登登母母曽毘売命、次に日子刺肩別命、次に比古伊佐勢理毘古命、またの名は大吉備津日子命、次に倭飛羽矢若屋比売。四柱。また其の阿礼比売命の弟、蝿伊呂杼を娶ひて、生みませる御子、日子寢間命、次に若日子建吉備津日子命。二柱。此の天皇の御子等、并せて八柱。男王五、女王三。故大倭根子日子国玖琉命は、天の下治らしめしき。大吉備津日子命と若建吉備津日子命、二柱相副ひて、針間の氷河之前に忌瓮を居ゑて、針間を道の口と為て、吉備国を言向け和しつ。故此の大吉備津日子命は、吉備上道臣の祖なり。次に若日子建吉備津日子命は、吉備下道臣、笠臣の祖。次に日子寤間命は、針間牛鹿臣の祖なり。次に日子刺肩別命は、高志之利波臣、豊国之国前臣、五百原君、角鹿海直の祖なり。天皇、御年壱佰陸歳。御陵は片岡の馬坂の上に在り。
現代語訳
大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)は、黒田廬戸宮(くろだのいおとのみや)に坐(いま)して、天の下を治(し)らしめました。この天皇は、十市県主(とおちのあがたぬし)の祖(おや)、大目(おおめ)の女(むすめ)、名は細比賣命(くわしひめのみこと)を娶(めと)いて、お生まれになられた御子は、大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)一柱。また春日千千速真若比売(かすがのちちはやまわかひめ)を娶いて、お生まれになられた御子は、千々速比売命(ちちはやひめのみこと)。一柱。また意富夜麻登玖邇阿礼比売(おおやまとくにあれひめのみこと)を娶いて、お生まれになられた御子は、夜麻登登母母曽毘売命(やまととももそびめのみこと)、次に日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)、次に比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこのみこと)、またの名は大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)、次に倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめ)。四柱。またその阿礼比売命(あれひめのみこと)の弟(いろど)、蝿伊呂杼(はえいろど)を娶いて、お生まれになられた御子は、日子寢間命(ひこさめまのみこと)、次に若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)。二柱。この天皇の御子等は、并(あわ)せて八柱。男王五、女王三。 故、大倭根子日子国玖琉命は、天の下を治らしめました。大吉備津日子命と若建吉備津日子命(わかたけきびつひこのみこと)は、二柱相副(あいたぐ)いて、針間(はりま)の氷河之前(ひかわのさき)に忌瓮(いわいべ)を居(す)えて、針間を道の口として、吉備国を言向(ことむ)け和(やわ)しました。故、この大吉備津日子命は、吉備上道臣(きびのかみつみちのおみ)の祖です。次に若日子建吉備津日子命は、吉備下道臣(きびのしもつみちのおみ)、笠臣(かさのおみ)の祖です。次に日子寤間命は、針間牛鹿臣(はりまのうしかのおみ)の祖です。次に日子刺肩別命は、高志之利波臣(こしのとなみのおみ)、豊国之国前臣(とよくにのくにさきのおみ)、五百原君(いおはらのきみ)、角鹿海直(つぬがのあまのあたい)の祖です。
天皇の、御年は百六歳。御陵(みささぎ)は片丘馬坂(かたおかのうまさか)の上にあります。
・黒田廬戸宮(くろだのいおとのみや)
奈良県磯城郡田原本町黒田にある法楽寺に宮跡の石碑がある
・針間(はりま)
播磨
・相副(あいそ)
一緒にいる
・氷河之前(ひかわのさき)
比定地未詳
・忌瓮(いわいべ)
神に供えるための忌み清めた容器
現代語訳(ゆる~っと訳)
大倭根子日子賦斗邇命は、黒田廬戸宮においでになられ、天下を統治しました。
この天皇は、十市県主の祖先の大目の娘、名は細比賣命と結婚して、お生まれになられた御子は、大倭根子日子国玖琉命、1人。
また春日の千千速真若比売と結婚して、お生まれになられた御子は、千々速比売命。1人。
また意富夜麻登玖邇阿礼比売と結婚して、お生まれになられた御子は、夜麻登登母母曽毘売命、次に日子刺肩別命、次に比古伊佐勢理毘古命、またの名は大吉備津日子命、次に倭飛羽矢若屋比売。4人。
またその阿礼比売命の妹、蝿伊呂杼と結婚して、お生まれになられた御子は、日子寢間命、次に若日子建吉備津日子命。2人。
この天皇の御子たちは、あわせて8人。男王は5人、女王は3人。
そして、大倭根子日子国玖琉命は、天下を統治しました。
大吉備津日子命と若建吉備津日子命は、2人一緒に、播磨国の氷河の崎に、神に供えるための忌み清めた容器を据え置き、神を祀って、播磨を吉備国への道の入り口として、吉備国を平定しました。
この大吉備津日子命は、吉備の上道臣の祖先です。
次に若日子建吉備津日子命は、吉備の下道臣、笠臣の祖先です。
次に日子寤間命は、針間の牛鹿臣の祖先です。
次に日子刺肩別命は、高志の利波臣、豊国の国前臣、五百原君、角鹿海直の祖先です。
天皇の、御寿命は106歳。御陵は片丘の馬坂のほとりにあります。
続きます。
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ありがとうございました。
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