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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第30景 「亀戸梅屋舗」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景
第30景 「亀戸梅屋舗」


ヴァン・ゴッホが模写したことで有名な作品です。

近景には臥竜梅の幹を画面に大きく取り上げています。その幹から伸びた枝の先には白梅が花開いています。

遠景には、梅を見ながら散策している人々、茶屋で休んでいる人々が描かれています。
 

亀戸梅屋舗





江東区登録史跡
梅屋敷跡
亀戸3-40、50~53付近

 梅屋敷は、江戸時代にはから続く梅の名所でした。もとは本所埋掘(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圀が命名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れました。
江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々で賑わい、その様子は『江戸名所図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。歌川広重はこの梅屋敷だけで十数種の版画を描き、特に「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつにあげられます。
明治43年(1919)、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸・大島・砂村のほぼ全域が浸水しました。この洪水により、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となりました。
ここに残る石標柱は、江戸区創立10周年を記念して、昭和33年に建てられたものです。
平成21年3月 江東区教育委員会
 


描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
見比べてみましょう。


現在、梅屋敷跡地は浅草通り沿いにあります。その通りの向こうは北十間川となっています。

跡地には石標柱と掲示板が備え付けられていました。その側に植えられていた樹を前面に撮影して見ました。

梅の季節に再び訪れて撮影してみました。
 


最後に

洪水で梅の木が全て枯れてしまったのは、残念に思うとともに、大変な災害だったのだと思い知らされます。

いつなんどき同じような災害が起こるかも知れません。防災意識を忘れないように心がけたいと改めて思いました。

写真は反対方向から樹を撮影して見たのですが、作品と同じような構図になるようにすると…


放置自転車が写ってしまう…

史跡の側はいつ誰が撮影するかわかりません。綺麗にするよう心がけて欲しいものです。



 


参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅

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