古事記 上つ巻 現代語訳 十四
古事記 上つ巻
伊邪那岐神と伊邪那美神
黄泉の国 三
読み下し文
最後に其の妹伊邪那美命、身自ら追ひ来つ。尓して千引の石を其の黄泉比良坂に引き塞へ、其の石を中に置き、各対立ちて、事戸を度す時に、伊邪那美命言さく、「愛しき我那勢命、如此為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。」ともうす。尓して伊邪那岐命、詔りたまはく、「愛しき我那邇妹命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ」とのりたまふ。是を以ちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。故、其の伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。亦云はく、其の追斯伎斯を以ちて、道敷大神と号く。亦其の黄泉の坂に塞りし石は、道反之大神と号け、亦塞り坐す黄泉戸大神と謂ふ。故、其の謂はゆる黄泉津良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。
現代語訳
最後に、その妻・伊邪那美命が、自らが追って来ました。
しかして、千引(ちびき)の石を、その黄泉比良坂に引き塞ぎ、その石を中に置いて、おのもおのも、対(むか)い立ちて、事戸(ことど)を度す時に、
伊邪那美命が、「愛しき我那勢命よ、如此為(かくし)たまわば、汝の国の人草(ひとくさ)を、一日に千頭絞(ちがしらくび)し、殺そうぞ」といいました。
しかして、伊邪那岐命は、「愛しき我那邇妹命よ。如此為(かくし)たまわば、私は、一日に千五百(ちいほ)の産屋立てよう」と仰りました。
ここをもって、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれるようになりました。
故に、その伊邪那美命を名づけて黄泉津大神(よもつおほかみ)といいます。または、その追斯伎斯(おひしきし)をもって、道敷大神(ちしきのおほかみ)と名づけました。
また、その黄泉の坂を塞いだ石を、道反之大神(ちかへしのおおかみ)と名づけ、また塞坐黄泉戸大神(ふさがりますよもつとのおほかみ)といいます。
故に、そのいわゆる黄泉津良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)といいます。
・千引の石(ちびきのいし)
千人で引かなければ動かせないような重い岩石
・事戸(ことど)
配偶者と縁を切るための呪言の意か
・伊賦夜坂(いふやざか)
島根県松江市東出雲町揖屋にある山道
現代語訳(ゆる~っと)
最後に、その妻・伊邪那美命が、自ら追って来ました。
こうして、千人で引かなければ動かせないような重い岩石を、引っ張ってきて、黄泉比良坂を塞ぎました、
その石を二神の真ん中に置いて、各々、向かい合って立ち、伊邪那岐命が離縁を言い渡す時に、
伊邪那美命が、「愛しき我が夫の命(みこと)よ、あなたがこのようなことをするのなら、私は、あなたの国の人間を、一日に1000人、首を絞めて、殺しましょう」といいました。
すると、伊邪那岐命は、「愛しき妻の命(みこと)よ。お前がそのようなことをするのなら、私は、一日に1500の産屋立てよう」と仰りました。
ここをもって、一日に必ず1000人が死に、一日に必ず1500人が生まれるようになりました。
こういうわけで、その伊邪那美命を名づけて黄泉津大神といいます。または、夫に追いついたことをもって、道敷大神と名づけました。
また、その黄泉の坂を塞いだ石を、道反之大神と名づけ、また塞坐黄泉戸大神ともいいます。
こういうわけで、そのいわゆる黄泉津良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂だといいます。
明日に続きます。
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