東京史跡巡り・人物編
夏目漱石旧居跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/41/e1467e9dc693dfad17de168992f5a86a.jpg)
漱石はイギリス留学から帰国した後、明治36年3月から39年12月まで、3年10ヶ月間、この地に住んでいました。
その間、漱石はこの地で初めて創作の筆をとりました。
その作品『吾輩は猫である』の舞台として、’猫の家”と呼ばれ親しまれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/d7/90028af521ec902e93ea585a213f54c5.jpg)
夏目漱石旧居跡(区指定史跡)日本医科大学同窓会館 文京区向丘2-20-7夏目漱石 本名・金之助。慶応3年~大正5年(1867~1916)。小説家。この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10か月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。その作品「我輩は猫である」の舞台として”猫の家”と呼ばれ親しまれた。この地で、「倫敦等」「坊ちゃん」「草枕」などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわした。漱石文学発祥の地である。漱石が住む13年程前の明治23年10から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。鴎外は、ここから団子坂上の観潮楼へ移っていった。二大文豪の居住の地、漱石文学発祥の地として、近代文学史上の重要な史跡である。旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築保存してある。ー郷土愛をはぐくむ文化財ー文京区教育委員会 平成7年3月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/30/a5e74ee373b53359ac83b2d56dd12a98.jpg)
所在地
東京都文京区向丘2-20-7
アクセス
東京メトロ南北線
本駒込駅
8分
東京メトロ千代田線
千駄木駅
徒歩10分
最後に
夏目漱石旧居跡。
日本医科大学同窓会館の一角にあるので、史跡に気づかず、一瞬通り過ぎてしまいました。
猫像がなかったら、分からなかったよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/29/1db5ad3b52fb315c204f77c95c2a5950.jpg)
この地から、様々な作品が作り出されたのかと、感慨深く辺りを見渡しましたが、
当時の名残など全く残っていませんので、なんとも言えない。
旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築されているそうなので、そちらに是非とも行ったみたいものです。
参考
文京区観光協会