五條天神社
(ごじょうてんじんじゃ)

概要
五條天神社は、東京都台東区の上野公園にある神社です。
主祭神
大己貴命
(おおなむじのみこと)
少彦名命
(すくなひこなのみこと)
相殿神
菅原道真公
(すがわらみちざね)
創建
景行天皇御代
例祭日
5月25日
略縁起
社伝によりますと、第十二代景行(けいこう)天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のおり、薬祖神二柱の大神に御加護を頂いたことを感謝され、上野忍が岡に、両神をお祀りしたのが始まりとされています。(約1900年前)
寛永寺の拡張などで何度か遷座しましたが、1928年(昭和3年)に現在地に遷座されました。

五條天神社縁起由緒第十二代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ平成二十二年五月御鎮座、一九〇〇年大祭が行われる、東都屈指の古社であります、江戸初期、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下、旧五條町)に遷り、御創祀に近い現地には昭和三年九月に御遷座になりました。掲示板より引用
境内
社殿

手水舎

神楽殿

鳥居

境内社
七福社

兼務社
花園稲荷神社
(はなぞのいなりじんじゃ)

祭神
倉稲魂命
(うがのみたまのみこと)
略縁起
神社の創建年代は不詳ですが、五條天神社が移転してくる以前からこの地にあった神社です。創建には諸伝ありますが、社伝によりますと、承応3年(1654年)に展開の弟子晃海により再興されたとされています。

花園稲荷神社の御縁起御由緒・鎮座の年月、由緒は不明ですが住古より此地にあり「穴の稲荷」又は忍岡稲荷と伝われました。承応三年(三百三十年位前)天海大僧正の高弟晃海僧正が霊夢に感じ廃絶のお社を再建して上野の山の守護神としました。この附近により北西一帯が寛永寺のお花畑であったので明治六年花園稲荷と改名し昭和三年現社殿にお遷ししました。旧社殿の跡は俗称「お穴様」と呼ばれ晃海僧正再建の記が刻まれた岩穴が現存します。安産の神とも伝い、特に縁談、金談の願かけにいただく「白羽の矢」は古来から有名です。花園稲荷神社上野観光連盟掲示板より引用
鳥居


稲荷坂

花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保十七年(一七三二)の「江戸砂子」にその名がみえ、明治二十九年(一八九六)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂 忍ケ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ」とある。掲示板より引用
住所
東京都台東区上野公園4-17
アクセス
JR・東京メトロ日比谷線・銀座線
上野駅
徒歩3分
京成線 京成上野駅
徒歩3分
最後に
上野公園の中にある五條天神社。
公園の喧騒とは打って変わり、静かな佇まいの神社でした。
日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神を祀ったことから始まった、古く由緒のある神社。
日本武尊も見たであろう景色を眺め、有意義な時間を過ごすことができました。良い参拝が出来ました。
参考
Wikipedia
東京神社庁HP