リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 十三 ・防人の交替 ・判事の任命 ・大赦



日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 十三

・防人の交替
・判事の任命
・大赦



二月十三日、
詔して、
「筑紫の防人は、
限られた年を満たしたなら、
ひとを替えるように」
といいました。

二十六日、
淨廣肆の竹田王
(たけだのおおきみ)、

直廣肆の土師宿禰根麻呂
(はじのすくねねまろ)、
大宅朝臣麻呂
(おおやけのあそみまろ)、
藤原朝臣史
(ふじわらのあそみふびと)、

務大肆の当麻真人桜井
(たぎまのまひとさくらい)と
穂積朝臣山守
(ほずみのあそみやまもり)、
中臣朝臣々麻呂
(なかとみのあそみおみまろ)、
巨勢朝臣多益須
(こせのあそみたやす)、
大三輪朝臣安麻呂
(おおみわのあそみやすまろ)を
判事としました。

三月二十四日、
天下に大赦しました。
ただ、常赦(じょうしゃ)で
免されない所だけは、
赦す例えにいれませんでした。

夏四月八日、
投化した新羅人を下毛野に居させました。

十三日、
皇太子の草壁皇子尊が
薨(みまか)りました。

二十日、
新羅は、
遣級飡(きゅうさん)の
金道那(きんどうな)等を遣わして、

瀛眞人天皇
(おきのまひとのすめらみこと)の喪を
弔い奉りました。

あわせて、
學問僧の明聡(みょうそう)、
観智(かんち)等を送りました。

別に、
金銅の阿彌陀像、
金銅の觀世音菩薩像、
大勢至菩薩像を各一軀、
綵帛(しみのきぬ)、
錦、綾を献(たてまつ)りました。

二十二日、
春日王(かすがのおおきみ)が
薨(みまか)りました。

二十七日、
詔して、
諸司の仕丁(つかえのよほろ)を、
一月に四日、休暇としました。



・常赦(じょうしゃ)
奈良時代以後の恩赦の一つ。 大赦についでひろく、八虐、および故意の殺人、計画的な殺人、贋金造、強盗、窃盗の罪を犯した者以外の犯罪者をゆるすこと
・遣級飡(きゅうさん)
新羅の官位のひとつ
・瀛眞人天皇
(おきのまひとのすめらみこと)
天武天皇
・仕丁(つかえのよほろ)
従者



(感想)

(持統天皇3年)

2月13日、
詔して、
「筑紫の防人は、
年限を満たしたなら、
交替させるように」
といいました。

26日、
淨広肆の竹田王、

直広肆の土師宿禰根麻呂、
大宅朝臣麻呂、
藤原朝臣史、

務大肆の当麻真人桜井と穂積朝臣山守、
中臣朝臣々麻呂、巨勢朝臣多益須、
大三輪朝臣安麻呂を判事としました。

3月24日、
天下に大赦しました。

ただ、常赦で免除されない罪だけは、
大赦の例えにいれませんでした。

夏4月8日、
帰化した新羅人を下毛野に居住させました。

13日、
皇太子の草壁皇子尊が亡くなりました。

20日、
新羅は、遣級飡の金道那らを派遣して、
天武天皇の喪を弔い奉りました。

あわせて、
学問僧の明聡、観智らを送りました。

別に、
金銅の阿弥陀像、金銅の観世音菩薩像、
大勢至菩薩像を各一体、
綵帛、錦、綾を献上しました。

22日、
春日王が亡くなりました。

27日、
詔して、
諸司の仕丁に、
一月に4日の休暇をゆるしました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



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