リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 十二 ・麻呂と鉄折の出家 ・吉野への行幸



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 十二

・麻呂と鉄折の出家
・吉野への行幸



三年春正月一日、
天皇は、萬国を前殿に朝させました。

二日、
大學寮が、
杖を八十枚を献(たてまつ)りました。

三日、
務大肆の陸奧国の
優●雲郡(うたきまのこおり)の
城養(きかう)の
蝦夷の脂利古(しりこ)の息である、
麻呂と鉄折(かなおり)が、

鬢髮を剃って沙門になりたいと請いました。

詔して、
「麻呂等は、少ないが、
閑雅(かんが)で、
寡欲(かよく)である。

遂にここに至って、
蔬(あおもの)を食し、
戒を持っている。

請に随い、
出家し修道(しゅうどう)するがよい」
といいました。

七日、
公卿と宴(とよのあかり)をしました。
袍袴(きぬ)を賜りました。

八日、
新羅への使人の田中朝臣法麻呂
(たなかのあそみのりまろ)等が、
新羅から還りました。

九日、
出雲国司に詔して、
風浪に遭った、
蕃(となりのくに)の人を
送らせました。

この日、
越の蝦夷の沙門の道信(そうしん)に、

佛像・一軀、灌頂幡(かんじょうのはた)、
鍾、鉢各々一口、五色綵を各々・五尺、
綿・五屯、布・十端、鍬・一十枚、
鞍・一具を賜りました。

筑紫大宰の粟田真人朝臣
(あわたのまひとのあそみ)等は、

隼人・百七十四人、
あわせて布・五十常、
牛皮・六枚、
鹿皮・五十枚を献(たてまつ)りました。

十五日、
文武官人が薪を進めました。

十六日、
百官人等に食を賜りました。

十八日、
天皇は、吉野宮に幸しました。

二十一日、
天皇は、吉野宮からかえりました。



・優●雲郡(うたきまのこおり
置賜郡(おきたまぐん、おきたまのこおり)は、山形県にあった郡。優●雲郡が置賜の前身とされる。●の漢字は(山偏に耆)
・閑雅(かんが)
1. 風流でしとやかなこと。上品。2. 静かで趣があること
・寡欲(かよく)
欲が少ないこと。欲ばりでないこと
・蔬(あおもの)
あらい。あおもの。菜・野菜などの意味をもつ漢字
・修道(しゅうどう)
1・ 道義を修めること。人の踏み行なうべき道を身につけること2・ 学問や芸術などを修めること
・袍袴(きぬ)
衣服



(感想)

3年春1月1日、
天皇は、万国の司を
大極殿に朝拝させました。

2日、
大学寮が、杖を80枚を献上しました。

3日、
務大肆の陸奧国のウタキマノコオリの
城養の蝦夷の脂利古の息子である、
麻呂と鉄折が、

ひげと髪を剃って
僧になりたいと請願しました。

詔して、
「麻呂らは、若いが、
静かで、風流で、欲がない

遂に、ここにきて、
野菜を食し、
戒を保持している。

請願にしたがい、
出家し修道するがよい」
といいました。

7日、
公卿と宴会をしました。
衣服を与えました。

8日、
新羅への使者、
田中朝臣法麻呂らが、
新羅から帰国しました。

9日、
出雲国司に詔して、
風浪に遭遇して漂着した、
となりの国の人を送らせました。

この日、
越の蝦夷の僧の道信に、
仏像・1体、灌頂幡、鍾、鉢を各々1口、

五色綵を各々・5尺、
綿・5屯、布・10端、
鍬・11枚、鞍・1具を与えました。

筑紫大宰の粟田真人朝臣らが、
隼人・174人、
あわせて布・50常、
牛皮・6枚、
鹿皮・50枚を献上しました。

15日、
文武官人が薪を献上しました。

16日、
百官人らに食事を与えました。

18日、
天皇は、吉野宮に行幸しました。

21日、
天皇は吉野宮からかえりました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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