リートリンの覚書

日本の神様8・天照大御神


天照大御神
(あまてらすおおみかみ)


日本の総氏神として活躍する太陽の女神

「天照」とは、
文字通り“天に照り輝く太陽”を
意味しています。

その名に象徴されるように
太陽神の女神であり、
また日本の皇室の祖神としても
祀られています。

「大日孁貴神」の「ムチ」とは
「貴い神」を表す尊称とされます。

神名に「ムチ」がつく神は
大日孁貴神のほかには
大己貴命(オオナムチ、大国主)、
道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)など
わずかしか見られません。

・別名 
大日孁貴神(おおひるめのむち)
大日女尊
大日孁
大日女
天照日女之命
天照孁女貴
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
天照大日孁(あまてらすおほひるめの)
天照太神(あまてらすおほかみ)
天照皇大神
日神(ひのかみ)
皇大御神
天照坐皇大御神

・神格 
太陽である女神
天下の主神とし高天原を主宰し、皇室の祖神
幡織神
農業神


「日本書紀」では


本文では、このように、登場しています。

“伊弉諾尊と伊弉冉尊は相談して、
「我々は大きな八つの国と山川草木を生んだ。
天下の主を生まなければならないだろう」
といいました。
こうして一緒に日の神を生み、
大日孁貴名付けました。“

・第五段の本文では、
伊弉諾尊・伊弉冉尊が
自然の神を生んだ後に
大日孁貴を生んでいます。

・第五段の一書の一では、
伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)
を持ったときに大日孁貴が生まれています。

・第五段の一書の六では、
「古事記」のように禊にて
伊弉諾尊が左の眼を洗った時に
天照大神が生まれています。

また、第九段では、

天照大神の荒御魂、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)
として登場しています。

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、
仲哀天皇に西征するよう教えさとした
神の一柱で、

神功皇后の西征に付き従い、
凱旋後、廣田神社に祀られました。


「古事記」では、


「古事記」においては、
伊邪那岐命が伊邪那美命の居る
黄泉の国から生還し、
黄泉の穢れを洗い流した際に、

左目を洗ったときに
化生したとしています。

このとき伊邪那岐命は、
天照大御神に高天原を治めるように
指示をだしました。


そのほか


伊勢神宮の神霊は、
俗に“お伊勢さま”と呼ばれていますが、
この神霊を分祀して祀る神社のことを
神明社といい、
そこから“神明さま”などという
呼び方をされたりもします。

全国にある皇太神社・神明社は、
一万八千社にのぼります


御神徳


国家安泰・子孫繁栄など

・主な神社 
伊勢神宮皇大神宮(三重県)
皇大神社(京都府)
熱田神宮(愛知県)



もう、自分が説明などしなくても
皆さん、ご存知の方でしょう。

ただ、日本書紀を読みますと、
天照大神の印象が変わりました。

天孫降臨の時は、
印象の薄さにビックリです。

高天原の統治を任された天照大神ですが、
実際の権力を持っていたのは、
高皇産霊尊の可能性が高いと思われます。

とはいえ、
日本書紀は、
時の権力者・藤原氏の都合のいいように
ねじ曲げられている可能性が高いので
真意のほどはわかりません。

さて、古事記と日本書紀。
どちらが真実に近いのでしょうか。

今日の記事でも書きましたが、
伊勢神宮に参拝した時の事を
思い出しました。

内宮の温かい気配…

今も、日本を包み
守ろうと
奮闘していらっしゃるのかも知れません。

日本全土によい春が訪れますように…

あぁ、
感謝の参拝がしたくなりました。

今日は、これで。
明日も神様シリーズつづきます。

読んで頂き
ありがとうございました。





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