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リートリンの覚書

東京橋巡り 吾妻橋・改訂版

東京橋巡り

吾妻橋
(あづまばし)






吾妻橋は、隅田川に架かる橋で、東京都道463号上野月島線吾妻橋支線(雷門通り)を通しています。

徳川家康の入府から江戸時代にかけて隅田川に架橋された5つの橋のうちの最後の橋で、1774年(安永3年)に、それまで「竹町の渡し」があった場所に創架されました。

はじめは、「大川橋」と呼ばれていましたが、江戸の東にあるため町民たちには「東橋」と呼ばれ、のちに慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面に「吾嬬神社」に通ずる道であったことから「吾妻」となった説があります。

現在の橋は、昭和6年(1931)6月に、関東大震災の復興事業で東京市が架け替えました。


鬼平情景

吾妻橋(大川橋)

 江戸時代、両国橋、新大橋、永代橋に次いで隅田川に架けられた四番目の橋です。安永三(一七七四)年、長谷川平蔵二十九才の時、町人からの幕府への願いが受け容れられ、架橋されました。民営のため武士を除く利用者から渡賃二丈を徴収して維持費に充てました。長さ八十四間(約一五〇メートル)、幅三間半(約六・五メートル)あり、正式名は大川橋です。吾嬬神社への参道にあたるとして吾妻橋への改名願いが出されましたが、それが叶ったのは明治九(一八七六)年になってからです。
 鬼平犯科帳でも数々の作品に登場します。なかでも人気の、亡父遺愛の銀煙管が鍵となる「大川の隠居」では、平蔵を乗せた友五郎の櫓さばきも巧みな舟が、吾妻橋をくぐって大川を遡っていく名場面に出てきます。
墨田区


所在地

台東区雷門二丁目・花川戸一丁目ー墨田区吾妻橋一丁目


最後に

赤くて可愛らしい印象の吾妻橋。




江戸時代には、民営で維持されていたとは、驚きです。

長さ150mもある橋を維持することは、さぞかし大変だったことでしょう。




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