ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

日記: 『いるいる大辞典』 ”クール男” ねつ造疑惑

2007年02月11日 22時36分56秒 | Weblog
[個人史]: 日記

東急・東横線で渋谷方面に向かっていた。
わずかの空席のある車両に一人の男性が乗ってきた。 その乗客は三人分に仕切られた座席中央部の真ん中が空いていたが、躊躇(ちゅうちょ)無くおしりを割り込ませた。 右側に細身の日本人と左側には西洋風の二人の女性の間だ。 (西洋風というのは、日本人風では無いのは間違いがないが国割り不能なのだ)

<アメリカン?>
肌寒い今日の午後、半袖のポロシャツを着て、耳にはヘッドホン、バックパックを床に置き、コーヒーでもいれているのか手にしたマイ・ボトル(カップ)をときどき口にしながら、鷹揚(おうよう)にジャパン・タイムス(英字新聞) を広げた。

見るからにアメリカンスタイルのようで(似合っていれば)クール (格好良い) だ。
年代的には 団塊世代 のように見える。が、微妙に若くも見える。

<年齢調査>
ドア近くの子どもを連れたお父さんが 40代社員に多く見られる姿だが 彼はそれには該当しない。 少し離れたところに座っている男性は 明らかに50代初めに見えるから、やはり彼はそれよりも年上に見える。 若そうに見えるのは ”重み” が感じられないのだ。

<そこまで無頓着でいられるの?>
英字新聞を読み出して、やはり団塊世代か? と感じさせるのは 周りの人たちに対して無頓着なのだ。 折りたたむことなく新聞を広げる姿には、となりに迷惑をかけていないか?などとは考えている様子もない。 完全に両側の女性達の領域に越境している。 特に 外国人がお好みなのか 細身日本人との間はスキマがあるが 西洋人風の女性には密着して、広げた英字新聞も彼女に見せつけているかのような姿勢だ。

女性は次第に半身を傾けて 彼を遮る体制に移っている。 その彼女の行動に彼の表情は険しい。 自由が丘に着き、彼女が立ち上がると 手にした厚手のコートの端は彼のおしりの下にあった。 あきれ顔で彼女は無言のまま軽くコートを引くと、その彼はようやく自分のおしりを持ち上げたが、彼女が言葉をかけない事にいらだっている表情を見せ女性を睨みつけた。

<女房殿たちの不満の理由(の一つ)
外見的にはある意味 カッコ良い(クール) のだが、 団塊世代を含む戦争を知らない世代を夫に持つ妻たちの不満を思い出した。 あの無神経さや、人間的な幼稚さには 一種独特 のものがある。 女房殿たちにとって とても大きな不満の理由 だったよ。

<団塊世代> ひとくくりで語ってはいけない理由(わけ)

2007年02月11日 00時08分42秒 | Weblog
今夜(10日)の NHK では 団塊世代をテーマにした討論番組があった。

番組とは別にしても今年は 『2007年問題』 とたいそうなネーミングを付け、団塊世代の大量退職に伴う企業等での様々な問題が語られている。
そしてまた日本政府までもが 団塊世代の大量退職が始まる今年を、 『日本経済が好景気だから企業の募集は昨年を大幅に上回る』 などと ”大本営発表” のごとく 政権功績に活用 している。

<団塊世代への誤解>
団塊世代が 戦後日本を作ってきた との誤解が一人歩きしている可能性もあるが、 実際には、 戦後復興を支えた団塊世代と、 復興し、好景気に湧く日本経済を享受しただけの団塊世代が存在しているのであろう。

戦後世代(団塊世代)もリタイア(退職)組が多くなってきたせいか、街中や(最近訪問回数が多くなった) 病院の待合室などでも 一目で 「団塊世代?」 と感じる ”おしゃれなおじさん” たちをよく見かけるようになった。

国が好景気な時期には、文化・芸術に多くおカネが使われる。 その意味でも 団塊世代は ”消費世代” として戦後日本の社会文化を支えたと云っても間違いではない。

だが、日本の戦後復興に絡む団塊世代は別にいる。
地方の貧しい農村を中心に 中卒学歴で 集団就職し、 劣悪な労働環境下で働いた低賃金労働者がいた。 あるいは 劣悪ではなくとも 戦争を生き抜いた戦前生まれの世代とともに働く低学歴の団塊世代。 かれらこそが 戦後日本の復興を支えた団塊世代である。

その経済復興を支えた団塊世代だが、いまでも大手企業や公務員等で勤務し、退職の日を待っているのだろうか? いや、その多くはリストラや中小企業の倒産などをきっかけに 公園などをねぐらとするような辛い日々を送っている気がしてならないのだ。 彼らには 今夜のNHK番組でも論じられたような 年金受給 にも縁がなさそうである。