1ヶ月前に『夜が来ると』という本を読み、予告していた感想文を夏休みの宿題みたいにアップすることにする。 読み終えた直後と日数の経った現在とでは、また少し感想も変化しているかもしれず、それもまた一興か。
本書の帯に書かれたキャッチコピーは
「虎だ。 虎の声が聞こえる。 オーストラリアの海辺でひとり暮らす75歳のルース。 ある日そこに、虎とヘルパーが現れた」
というものである。
さらに表紙裏には
「海辺にひとり暮らす75歳のルースは、ある朝目覚めて、家にトラがいると思った。 荒々しく大きなトラが、確かにそこにいたのだ……。 同じ日にフリーダという女性が訪ねてくる。 ルースのためのヘルパーだった。 ルースはフリーダに頼るようになるが、フリーダもトラも、はじめ思ったのとはちがっていて――」
と、概略に近い文が印刷されている。
夫に先立たれ、息子達もとうに手を離れていて、単調な独り暮らしを送る誇り高き老婦人が、家の中にトラが侵入して歩き回る気配に心囚われるところから物語は始まる。
もちろん、いきなりトラが現れるなんて考えられぬこと。 トラは老婦人の “脳内の変化”及び “漠然と身に迫る危険”を表す。
勘の良い読者なら、なんとなく展開が読めるやもしれぬ。 しかし、ここに書き手の巧さがある。 文章は三人称で書かれているのだが、次第に思考力が曖昧になる老婦人の視点の渦に、読む側はぐるぐると巻き込まれてゆくのだ。
湿度の高低が伝わる空気感と光景、輝いていた過去の主人公の記憶、束の間の情熱的なひととき、緩やかに侵食され始める日常……読者が模糊とした渦に飲み込まれた先には、想像していたとおりの結末が待っているかもしれない。 にもかかわらず、作者は若いながらも卓越した筆力で、サスペンスを孕んだファンタジーとも言える異世界に没入させて離さない。
この作品をより深く味わうには、外国文学と文化の知識を或る程度持っているほうが望ましい。
また、翻訳物であるがために少なからず “読み辛さ”に苛まれる。 僭越ながら、本当に僭越ながら、日本語として読み辛い部分が多い。 それは訳者の方が原文の味を可能な限り損なわぬよう努力した結果と思う。
結論として、決して読み易くはない本書だが、巧妙な構成と叙情性の高さによって、サスペンスとかスリラー作品の多くが不可能な読み返しに充分耐え得る文学性を有している。
本書の帯に書かれたキャッチコピーは
「虎だ。 虎の声が聞こえる。 オーストラリアの海辺でひとり暮らす75歳のルース。 ある日そこに、虎とヘルパーが現れた」
というものである。
さらに表紙裏には
「海辺にひとり暮らす75歳のルースは、ある朝目覚めて、家にトラがいると思った。 荒々しく大きなトラが、確かにそこにいたのだ……。 同じ日にフリーダという女性が訪ねてくる。 ルースのためのヘルパーだった。 ルースはフリーダに頼るようになるが、フリーダもトラも、はじめ思ったのとはちがっていて――」
と、概略に近い文が印刷されている。
夫に先立たれ、息子達もとうに手を離れていて、単調な独り暮らしを送る誇り高き老婦人が、家の中にトラが侵入して歩き回る気配に心囚われるところから物語は始まる。
もちろん、いきなりトラが現れるなんて考えられぬこと。 トラは老婦人の “脳内の変化”及び “漠然と身に迫る危険”を表す。
勘の良い読者なら、なんとなく展開が読めるやもしれぬ。 しかし、ここに書き手の巧さがある。 文章は三人称で書かれているのだが、次第に思考力が曖昧になる老婦人の視点の渦に、読む側はぐるぐると巻き込まれてゆくのだ。
湿度の高低が伝わる空気感と光景、輝いていた過去の主人公の記憶、束の間の情熱的なひととき、緩やかに侵食され始める日常……読者が模糊とした渦に飲み込まれた先には、想像していたとおりの結末が待っているかもしれない。 にもかかわらず、作者は若いながらも卓越した筆力で、サスペンスを孕んだファンタジーとも言える異世界に没入させて離さない。
この作品をより深く味わうには、外国文学と文化の知識を或る程度持っているほうが望ましい。
また、翻訳物であるがために少なからず “読み辛さ”に苛まれる。 僭越ながら、本当に僭越ながら、日本語として読み辛い部分が多い。 それは訳者の方が原文の味を可能な限り損なわぬよう努力した結果と思う。
結論として、決して読み易くはない本書だが、巧妙な構成と叙情性の高さによって、サスペンスとかスリラー作品の多くが不可能な読み返しに充分耐え得る文学性を有している。