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OSAMUの写真記録

台湾の記憶④

撮影日:2023年10月21日

4日目の最終日、台湾には日本統治時代の建築が多く残っており、それらを垣間見ることにしました。
その前に朝食です。

1)四海豆漿大王
ここでは鹹豆漿(シェンドウジャン、Xián dòujiāng、しょっぱい豆乳)と飯糰(ファントゥアン、Fàntuán、もち米のおにぎり)を食べました。
注文票を見るだけでは何かわからなかったので、隣で食べている人に教えてもらいました。
後者は妻はあまり口に合わないようでしたが、私は美味しくほとんどを食べてしまいました。


2)MRT中山駅から四海豆漿大王に行く途中にあった看板


3)総統府
土曜日だったので中に入ることはできません。
赤レンガと白い花崗岩で造られたルネッサンス様式の風格ある建物。
設計はコンペによって競われ、日本銀行の本支店の設計を多く手掛けた長野宇平治の案が選ばれ、それに総督府営繕課の森山松之助が修正を加えて、1919年に完成したもの。
次回はぜひ中に入ってみたい!


4)二二八和平記念碑
1947年2月28日、中華民国による台湾統治に反抗して蜂起した台湾住民が園内の台湾ラジオ放送局(旧台湾放送協会本部)を占拠し、台湾全土に向けて台北での蜂起を告げた。
後には当時の台湾統治責任者であった台湾行政長官の陳儀がこの放送を通じて蜂起した台湾住民に対して投降を呼びかけた。
この事件で犠牲になった住民を追悼するために建立。


5)国立台湾博物館
日本統治時代の1915年に完成
いずれも今回は外からだけでしたが、次回はぜひ内部も。


6)MRT台大醫院駅構内


7)MRT忠孝新生駅から崋山1914に向かう途中で


8)崋山1914文化創意産業園区に着きました。
前身は日本統治時代の台湾に建てられた酒造工場で、1987年に操業停止してから廃墟状態となっていたが、2003年に文化省が管理を始め、2005年に華山1914文化創意産業園区としてオープン。


9)


10)廃墟状態であったことが偲べます。


11)日本の映画が上映されていました。


11)カラフルなグッズが売られていました。
日本語の表記も見られます。


13)タピオカミルクティーで有名な春水堂があったので、小休憩。


14)新生高架橋下滑板場
直ぐそばにスケボーができるところがありました。
その入り口の柱(上には高速道が走っています)は基盤で埋め尽くされていました。


15)この先の八徳路一段はどうやら電脳地区のようでした。


16)こんな看板も


17)国立台北科技大学
この辺りは電子技術を支える地域なんだと思います。


18)台北駅
広大な吹き抜け


19)MRT空港線西門駅
先進性を感じるデザインです。

エピソードその⑦
町中の飲食店で何度か食事をしたが、前払いのところと後払いのところがありました。
戸惑いますよね。
エピソードその⑧
ホテル最終日、真夜中に警報が鳴り響いて叩き起こされました。
避難を促されたが廊下に出てみると、フロントに確認した人が戻ってきて無事が確認できたので非難の必要は幸いにもありませんでした。
翌日フロントに確認したらシャワーの湯気が原因だったとのこと。日本人が多く宿泊しており、日本語が話せるスタッフがいるのだから安全が確保されたのならその旨連絡して欲しいですね。

台湾には日本統治時代の建物がたくさん残っています。
今回の旅の前にそれらをまとめた本にも目を通しました。
内部をゆっくり見る機会はありませんでしたが、日本以上に残されているのは当時の日本の統治が決して台湾の人たちにとって悪いものではなかったことを物語っているように思います。
こんなところも日本人に人気があるのだと感じました。
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