ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

我が家の記録15

2021-11-20 23:14:00 | 日記
私が入院中に、長男は成人式を迎えました。ダンナに聞くと、スーツは出してあるけれど、行くのかはわからないとのこと。

この頃の長男は、学校とも縁がなくなり、ゲームをしているような毎日でした。中学時代の友人とも疎遠になっていましたので、成人式を一緒に行こうと相談する友人も居なかったと思います。

結局は、行きたい気持ちもあったかもしれませんが、欠席しました。
そのストレスからか、長男は考えもつかない行動をとります。

ロシアに、ロシアンブルー(猫)を買いに行く…と、父親からお金をもらい、新幹線で東京へ出かけてしまいます。パスポートもありませんから、ロシアに行けるわけもありません。

成田空港から、私にLINEが来ました。

もう、正常な思考ではありません。空港で一泊して、翌日はデパートをフラフラしていたようです。そして、夜どこかの建物に入ろうとして、警察に補導されました。

これが双極性障害の、躁状態の始まりでした。

月命日

2021-11-18 05:32:00 | 日記
お母さんが亡くなって、ひと月経ちました。

実母は71歳で亡くなりましたから、義母のお母さんと一緒に過ごした時間の方が長く、私は実母亡き後は、何でも義母に話をしてきました。そして、その話をできる人が居なくなったんだなあと思ったら、急に悲しくなって涙が出てきました。

電話だったり、遊びに行ったり、お母さんは一人暮らしだったので、電話をかけると長電話をします。遊びに行くと、近所のお友達も来て、ずーっと話をして終わらなかったりして。自分の話もよくしましたが、私の話も聴いてくれました。
その人が、場所がなくなったんだなあと、改めて思いました。

お母さんは、癌になった不安は一言も言いませんでした。どう思っていたんでしょう。

今は毎日、お仏壇に話しかけています。お母さん、おはよう、今日はお天気になりましたね、行ってきます、熱いお茶ですよ・・
きっとお母さんは、ニコニコして聞いてくれていると思います。

我が家の記録14

2021-11-15 21:56:00 | 日記
神経内科の先生に診ていただいて、初めて病名がつきました。

横断性脊髄炎(多発性硬化症の疑い)。多発性硬化症は、亡くなられた林家こん平さんが患った病気です。

簡単に言えば、脊髄が腫れて神経の伝達がうまくいかずに、手足の動きが悪くなったということです。

3日間、治療の点滴が続きました。治療はこれだけ。体がうまく動かずに、リハビリを続けました。退院時、杖歩行なんて、治療計画書に書いてあり、ショックでした。
入院後半、角膜ヘルペスになり、とても痛い思いをしました。

ひと月半で退院。その後4ヶ月自宅療養しました。今は小走りに走ることもできます。再発もなく9年経ちました。

あの時、本当にどうにもならなくて、辛くて弱音を吐いていた私に、神様が生きることを教えてくれたんだと思います。

我が家の記録13

2021-11-13 20:30:00 | 日記
!何をやっても、状況は変わらず、良くなりません。

この頃、長男はオレは生き地獄にいると言いました。カッとなり、父親に殴りかかるようなこともありました。
家の壁には、3箇所穴が空いています。2つは長男、1つは次男が、殴ったり、蹴ったりしてあけました。

私は、もう死んでしまいたいと毎日思うようになります。そんな私を神様は見ていたのか、私の体がおかしくなりはじめます。
足が痺れたり、上手く歩けなくなったりします。
整形外科へ行ったり、脳を調べても異常なし、そんな状態が続き、とうとう足が動かなくなり、ペンが持てなくなりました。

病院へ行き、やっと神経内科の先生が病気を見つけてくれました。

その日に、入院となりました。

我が家の記録 12

2021-11-11 21:19:00 | 日記
長男が不登校になり、学校も退学すると、サポートしてくれるところは、あまりありませんでした。先生は、学校をやめればもう関係は無くなります。親は一生です。

子供サポートセンターが街中にありましたが、同世代の子はいませんでした。

精神科へは、月に一度通っていましたが、これといった進展もありませんでした。

信頼するカウンセラーさんには、月一でカウンセリングに親子で通いました。
私はなんとか、また脱線したレールの上に戻って、前に進んで欲しかった。でも、それは私がさせたいことであって、長男がしたいことではありません。

カウンセラーさんは、子供の気持ちを1番に考えます。あなたがどうしたいかが、大切だと教えられます。

子供が不登校になり、私はママ友とも疎遠になりました。そのころ、ブログでもしていたらまた変わっていたかもしれません。
 
家に帰るのが憂鬱になります。いつも子供がいるのです。本来なら学校へ行っているはずなのに。

私の救いは、仕事があること、行く場所がある事でした。長男に、一度仕事を辞めてほしいと言われたことがありましたが、ここでも、私がどうしたいかを考えました。ここで辞めたら、長男のせいで辞めたとなります。
私は、辞めたくありませんでしたので、長男に話をして、仕事は続けました。今もその仕事を続けています。本当に、辞めなくて良かったと思います。

大切なのは、お母さんがどうさせたいかではなく、あなた(子供)がどうしたいか、いつも、私の耳に聞こえて来るカウンセラーさんの声です。