ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

我が家の記録 不登校11

2021-11-09 21:03:00 | 日記
気が弱く、かなり不安の強い長男の毎日は、ほとんどパソコンでのゲーム一色でした。

オンラインでの、ロールプレイングゲームというのでしょうか、キャラクターを着飾ったり、武器を手に入れたり、レベルを上げるために、お金をいくら使ったかわかりません。無心というのです。万単位でお金がなくなりました。

側から見れば、馬鹿な親かもしれませんが、決して甘やかしているわけではありません。長男には、そこが居場所だったんだと思います。話し合いながらでしたが、今思えば、それも必要だったのかもしれません。

医師に、この子はゲームの中に生きていると言われたこともあります。

この頃、中学生時代の友人とも、たまに会っていました。友人は、宝ものでした。

我が家の記録 不登校10

2021-11-08 21:11:00 | 日記
高校を退学して、長男は本来なら高校3年の学年です。

本人が、希望して退学後は4月から通信制高校へ入学しました。しかし、今まで同様、1日行くと疲れてしまい、その後もボツボツと行く感じでした。

私立で、年間の授業料は高額だったと記憶します。部活のフットサルは楽しかったのか、試合へも出場したりしました。顔見知りもできましたが、それほど積極的に通学するというかんじではありませんでした。

秋の高卒認定試験の前日、受験が不安になり、意味不明の行動をとり、パニック状態になりました。試験は受けなくていいから、休もうと諭すと、落ち着いて休むことができました。

医師の診断は、不安障害、解離性障害でした。





我が家の記録 不登校9

2021-11-06 16:58:00 | 日記
3月は、卒業の季節、その先は進級、進学だったり、入学、就職。
桜の花が咲く春、希望に満ちた春、子供が不登校になって、1番好きな春が、1番苦手になりました。

長男は4月からどうするのか、長男は迷っていました。私は、レールに戻って欲しいと願っていましたが、口には出しませんでした。リスタートは、また1学年からです。同級生は2年になっています。

なかなか本人は決められずにいました。一度、担任に休学の延長を申し出ました。もう少し時間が必要と私も同意しました。

しかし、その翌日、息子はやっぱり復学すると言い出し、担任に連絡し1学年からやり直すことになりました。

今思えば、長男は私の気持ちを察していたのかもしれません。

通学は長くは続かず、5月の連休明けからまた、学校へは行かれなくなりました。

そして、その年他の高校の自己推薦を受けます。結果は不合格。
在籍していた高校も、3月に退学しました。

精神科の受診はしていましたが、カウンセラーさんから聞いた、思春期外来のある病院へ、転院していました。
先生は、ひょーひょーとした感じで、服薬は無かったか、かなり少なかったように記憶しています。
もう、10年以上前のことで思い出すのも大変です。

4月からどうしよう、私はこの頃、どん底には、底がない事を知ります。もっと深く、深くなっていく、不安を抱えた日々が続きました。

つい、癖で

2021-11-04 22:37:00 | 日記
今日、いつものスーパーで買い物をしていて、ビールのコーナーで、糖質オフの6缶パックに、ご飯が1パック景品で付いていました。なんか、矛盾してる?と笑えました。

最近お店で靴下を見ていても、義母はいつも足が浮腫んでいたから、足首のゆるい靴下でないとダメで、そう、かなりゆるゆるの靴下、そんなのをつい探してしまったり、義母は、グンゼの快適工房という下着がお気に入りで、つい、安売りの広告が入ると、確認している私です。

もう居ないのに、つい癖で・・なんとも、寂しいものです。

我が家の記録 不登校8

2021-11-03 21:20:00 | 日記
良くなることを信じてかかった精神科でしたが、薬の服用も効果があるのかないのか、わかりませんでした。

息子は、早く元気になって学校へ行きたいと言ってはいましたが、家での生活は変わらず、昼夜逆転、毎日オンラインゲームをしていました。

学校は、良く覚えていないのですが、休学の手続きをとった記憶があります。 

繊細で、とても親、特に母親の気持ちに敏感です。お母さんは女優でいてくださいとカウンセラーさんから言われましたが、私にはなかなかムヅカシイ事でした。 

ピンチはチャンスなんて、言ってはみたけれど、状況は変わらない。そんな辛い毎日を淡々と送りました。
 
そして、今後毎年来る、3月がやってきます。この年から私は3月がとても憂鬱な、嫌いな月になりました。