ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

わたし

2021-11-02 21:46:00 | 日記
何故あんなに介護中、お母さんのことで、頭にきたり、愚痴を吐いたんだろう。

当初、お母さんに私は、一人暮らしはもう無理と感じて、我が家に療養に来てくださいと話した。お母さんは、人の家庭を壊したくないと言ったが、まさかの末期癌で結局は頼らなければならなくなった。

介護中の寝不足は、正常な思考を奪う。私は、この生活が3年は続くのではないかと本気で思っていた。医師の余命宣告なんて当てにならないと。

こんなに早くにお母さんが逝ってしまうなら、と色々考えたけれど、もう時間は戻らない。

お母さんが亡くなって、私は悲しみもあったが、やりきった感がそれを超えていた。ダンナも同様だった。

良くやったね、私。大変だったけれど、介護してよかった。
私はたったの4ヶ月の介護で終わったけれど、年単位で介護されている方々もたくさんいる。
みなさん、たくさん愚痴って、デイサービスやショートステイをうまく利用したり、無理なら施設にお世話になるのも十分に考えられる選択肢だと思います。

ブログで吐き出すのは、本当にありがたいツールとなりました。介護は、とりあえず終了となりましたが、これからは我が家の
最大のミッション、現在進行形について、ボツボツ記録していこうと思います。
 





お母さんへ

2021-11-01 17:32:00 | 日記
今日から11月、寒くなりました。朝晩はとても、冷えます。

お母さんがショートステイから帰った日、夕飯も食べたくないと言った。でも、就寝前に、お母さんの好きなおやき、りんごを美味しいと言ってを食べてくれた。
最期に口にしたものは、私の漬けた梅の小さなおにぎりだった。見せると、パッと目が輝いたような気がした。
結局、帰宅後食べたものはすべて吐いてしまうことになった。

おにぎり食べなければよかったね、と私が言うと、おにぎりは悪くないと言ってくれた。

帰宅した晩に、下血してかなりお腹のあたりが気持ち悪いと言っていた。翌日やっと眠れて朝、お母さん、ご飯食べましょうと言うと、今日は休む!と、まるで宣言をするように、はっきりと言った。それから、3日後、お母さんは、亡くなった。

一人暮らしの頃、私が行くと言うと、楽しみに待っていてくれたお母さんは、もう居ない。いつも、帰る時は、窓から手を振って見送ってくれた。寂しいけれど、私はお母さんの介護に悔いはない。愚痴ばっかりだったけど、一生懸命できることをしたから。

お母さん、私の介護は何点だった? 

私がそちらへ帰る時は、実母と、猫のサーシャと、ココアと一緒に迎えに来てくださいね。私、まだ子供の自立ができていないので、それを見届けてからいきますので、まだまだ先になりそうです。

もっと早く、私たちと一緒に暮らせばよかったかなとダンナと話しましたが、お母さんはいつも、私は自由に暮らせて幸せだと言っていましたね。我が家の事情もあり、気を使っていたのかもと思います。

義母ではありましたが、やはり私のお母さんでした。お母さん、ありがとうございました。