神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

質問2

2020-08-07 21:44:51 | 天の国の福音

質問2.主イエスが言われました。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3)主は復活して天に戻り場所を用意するなら、私たちの場所は天にあるということでしょう?主が戻られたなら、私たちは天に引き上げられ、空に昇り主にお会いできるということでは?あなた方の言うように主が戻り、受肉して話し働いておられるなら、どうやって天国に引き上げてくださるのか?天国は地上にあるんですか?それとも天に?


解答: 天国が天にあるか地上にあるかは多くの人が抱く疑問ですので、今日お話ししたいと思います。まず天国とは何か、確認しておきましょうか。天国と言う時、通常は神を指していることは誰でも知っています。つまり天国とは神様の御国を指し、神様が権力を持つキリストの御国のこと、そうですよね?神様の御国は地上にあるのか天にあるのか、主が祈りの中でおっしゃっています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」(マタイによる福音書 6:9-10) 主イエスの言葉で分かりませんか?祈るべきは神様の御心が地上で叶うように。神様の御国が地上に下るように。神様の御国が天にできるとはおっしゃっていません。特に天に引き上げられるとも言っていません。天に招かれ神様の御国に入るという望みは主の御言葉になく御心に沿わないのでは?ヨハネの黙示録11章15節を読みましょう。「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、『この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう』。」 21章2節から4節。「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』。」 2つの章にはこう書かれています。「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった」「新しいエルサレムが神のもとを出て天から下って来る」「神の幕屋が人と共にあり」これはキリストの御国が地上に実現されることを指しています。終わりの日の全能神の裁きは、キリストの御国を地上に実現するため、災害が地上を襲う前に、神様は勝利者の集団を作り、それが神の御国の柱となります。キリストの御国で神様のお側で支配する者たちです。神様に完全にされた者は神様の御国の民となります。終わりの日の全能神の働きを受け入れない者は、神様に暴かれて見捨てられ、キリストの御国には入れません。黙示録によると、終わりの日に受肉した神様が発言するとあります。災害を経て地上にキリストの御国が実現し、新たな天と地が生まれると。この預言がすべて完全に成就したら、神様の経営計画は達成されます。つまり、終わりの日に全能神の働きを受け入れ、清められ完全にされていれば、キリストの御国の民になれるんです。それは災害の前に勝利者となる者です。神様の言葉を聞き従うことができる者です。大災害がやって来ても、この者たちは神様の庇護を受けられます。無知なまま勝手な想像で判断し、終わりの日の裁きと清めを受け入れず、天に引き上げられると思い込んでいる者は、災害によって処罰を受けるでしょう。多くの者は滅ぼされ、少数だけが災害から神様へ向かうでしょう。これがまもなく神様のなさることです。

 主いわく。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネによる福音書 14:2-3) 主の言葉は奥義に満ちています。安易な思い込みで考えると、主は天へ行かれて、そこで場所を用意されたと思えます。ですがそれは、大きな思い違いです。神様の働きは人間には計り知れないものです。想像では理解できません。私たちにそれがはっきり分かるのは、働きが完成し、目の前に示される時ではないですか?私も最初は理解できませんでした。でも神様が完成した働きを目にしました。主イエスが、私たちの場所を準備されるとは、私たちが終わりの日に生まれ、受肉した神様の働きを受け入れ、裁かれ清められ完全にされて、キリストの御国に召されることです。考えてください。神様は受肉し、裁きの働きのため真理を示されました。私たちは御声を聞き、御前まで引き上げられた。神様が会いに来られたのでは?神様の御言葉を読んで、働きを経験し、神様の宴に招かれる。これが主にお会いすることでは?神様の働きが完了する時、私たちが清められ完全なら、神様の御国に招かれます。キリストは神様の御国で支配し、私たちは神様の民となるんです。預言の成就です。「わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」

 全能神の御言葉を読んで、キリストの御国が地上にどう実現するか、いかに美しいものか学びましょう。全能神は言われます。「神の国は人間たちの間で拡大する。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中に建てられている。どんな力もわたしの国を破壊できない。わたしは今、わが民の間を歩き回り、わが民の中で生きている。今日、わたしに本物の愛情をもっている人々は幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまる。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を持つであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの縛めを逃れ、わたしの内に祝福を楽しむだろう。自らに背くことのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは覚え、わたしのために自ら持つものを費やす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となる。その人たちは、必ずやわたしの家で何物も及ばない富を得、並びなき者となる。神よ感謝しますあなたがたは、与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、自分に対して結ばれた約束を探したことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の拘束を打ち破るだろう。あなたがたは、絶対に、闇のただ中にあって、あなたがたを導く光を失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の者たちの中で立ち上がり、わたしの勝利を証しする。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、堅固で揺るぎないだろう。あなたがたの耐え忍んだ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙においてわたしの栄光に輝くだろう。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「十九章」より)

「わたしの言葉がすべて終わった後、わたしの国は徐々に地に形を現し、人間は次第に正常に戻り、そうして、地上にわたしの心の国が築かれる。その国では、神の民全員が正常な人間の生活を取り戻す。凍える冬は去り、春の訪れた町々の世界となり、一年中春が続く。もはや人々は暗く惨めな人間世界に臨まない。もはや人間世界の凍える寒さを耐えることがない。人々は互いに戦うことなく、国々は互いに戦争を仕掛けることがない。もはや大虐殺が行われて血が流されることはない。地はすべて幸福に満たされ、どこも人と人とのぬくもりが満ちる。わたしは世界を動き回り、玉座の上から楽しむ。わたしは星々の間で暮らす。そして、天使たちがわたしに新しい歌や踊りをささげる。天使たちは、もはや自身のもろさに涙がほほを伝うことはない。もはや天使がわたしの前ですすり泣くのを聞くことがない。そして、もはや誰も苦難をわたしに訴えることがない。今日、あなたがたはわたしの前で生きている。明日、あなたがたはみな、わたしの国で暮らすようになる。これは、わたしが人間に与える最大の祝福ではないか。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「二十章」より)

「一旦、征服の働きが完成すると、人は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、今日の人の生活とは全く似ていない。それは全人類が征服された後の生活で、地上の人間にとって新しい始まりであり、人類にとってそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠である。それは地上における人と神の生活の始まりである。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服され、造り主の前に服従しなければならない。そして、征服の働きは人が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。」「そのような生活は地上における人の未来の生活であり、地上で最も美しい生活で、人が待ち焦がれている生活で、世界史上人が決して達成したことのない生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果で、人類が最もあこがれる、神が人に約束したものでもある。しかし、この約束は直ちには実現されない。終わりの日の働きが完成され、人が完全に征服され、つまり、サタンが完全に敗北して初めて、人は未来の終着点に入るのである。人は練られた後、罪のない性質になる。なぜなら、神はサタンを打ち負かしたので、敵対する勢力の侵略はなく、敵対する勢力による人の肉への攻撃がなくなるからである。そして、人は自由になり、聖くなり――永遠へと入ったことになる。」(『言葉は肉において現れる』の「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く 」より)

「人類がみな最初の形を回復し、それぞれ自分の職責を尽くし、自分の本分を守り、神のすべての按配に従うことができたら、神が地上で一団の、彼を礼拝する人を得、また彼を礼拝する国を打ち立てたことになる彼が地上で永遠に勝利を得、彼に敵対する者たちが永遠に滅びれば、彼が最初人を造った時の心意を回復し、彼が万物を造った時の心意を回復し、地上での彼の権威、万物の中での彼の権威、敵の間での彼の権威をも回復したことになり、これは彼が完全に勝利を得たことのしるしである。それから、人類は安息の中に入り、正しい軌道に乗った人類の生活に入り、神も人と一緒に永遠の安息の中に入り、永遠の神と人の生活に入る。地上の汚れと不従順が見えなくなり、地上の哀号が見えなくなり、地上の、神に敵対するあらゆるものもなくなり、神と神に救われた人たちだけが存在し、彼に造られた万物だけが存在する。」(『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より)

「わたしはすべての人々の上を動き、至る所を見る。何一つ古びることがなく、誰一人、かつてと同じ人はいない。わたしは玉座に座し、全宇宙の上で憩い、満ち足りている。すべてのものが聖さを取り戻し、わたしは再びシオンで安らかに暮らすことができるからだ。そして、地上の人々は、わたしの導きの下、穏やかで満ち足りて生きることができる。すべての人々は、わたしの手の中で、あらゆることを行う。すべての人はかつての知能と、本来の姿を取り戻す。彼らはもはや塵におおわれてはいない。わたしの国では、人々は翡翠のように純粋で、人の心の中の聖い者のような顔をもつ。わたしの国が人々の間に建設されたからである。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「十六章」より)

「世界の至る所で、神と人間だけが存在する。ほこりも汚れもなく、すべてのものは再び新しくなり、子羊が大空の下で緑の草原に横たわっているように、神のすべての恵みを享受している。そして、この一面の新鮮な緑が現れたことから、生命の息吹が輝き出る。というのも永遠に人間と共に暮らすために神がこの世に来るからである。神の口から『わたしは再びシオンで安らかに暮らすことができる』と語られたとおりである。これはサタンの敗北の象徴であり、この日は神の安息の日であり、すべての人々によって褒めそやされ、称えられ、すべての人に祝われる。神が玉座で安息している時は、神が地上における働きを終了する時でもあり、まさに神のすべての奥義が人間に示される瞬間である。神と人間は永久に調和し、離れることはないだろう――これらは神の国の美しい光景である。」(『言葉は肉において現れる』第三部「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「十六章」より)

『待ち続けて』より



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