神の羊は神の御声を聞く

「わたしの羊はわたしの声を聞く」黙示録も予言されました。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」

質問1

2020-09-10 21:08:05 | 天の国の福音

質問1.主イエスは再臨され、それが全能神だと。そんなまさか。マタイの福音書24章29節を見て。「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」 主が戻られたのなら、雲に乗って輝かしく来られたはずだ。天と地は震え、太陽も月も輝きを失う。そんな光景は見ていないのに、なぜ主はもう戻られていると言えるんだ?一体どういう事だろう?


解答: 主の再来について、みな勘違いしている。雲に乗って来るという預言ばかりを当てにしていて、ほかの預言を見過ごしてるんだ。大きな過ちだ。聖書のあちこちに再来の預言がある。主の預言にある。「見よ、わたしは盗人のように来る。」(ヨハネの黙示録 16:15)「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書 25:6)「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録 3:20)「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカによる福音書 17:24-25) 預言によると主は、「盗人のように」人の子として、扉を叩き、話しかけるとされている。雲に乗って大衆の前に姿を現される以外にひっそりと来られるのでは?主が雲に乗って来るということだけを信じるとしたら、ひっそり来るという預言はどうなるんだ?考えてみろ。雲に乗って来られる、その時は兆しがあるんだ。日も月も陰り、星は空から落ち、天と地は揺れる。それはまさに天変地異じゃないか。誰にでも一目瞭然だろ。盗人のように来て、扉を叩くという預言はどう成就するんだい?雲に乗って来れば、誰にでも見える 。「花婿だ、迎えに出なさい」なんて証しは要らない。主は言われた。「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」この預言はどうなる?主が終わりの日に戻られ、働きを完了するという預言もある。例えば、神の家から始まる裁き、巻物を開き、七つの封印を解き、収穫して選別をなさる。小麦と毒麦、羊とヤギ、良きしもべと、悪しきしもべをな。もし主が、白い雲に乗って来られたら、誰にでも分かる。復活した主イエスの霊体を全人類が見れば、誰だって地にひれ伏して、従うんじゃないか?誰が主を拒む?そしたら、良きしもべと悪しきしもべをどうやって分ける?どうやって収穫と選別をするんだい?主の再来は聖書に多くの預言がある。なのにほかの預言は無視して、雲に乗って来るという一部の預言だけを取って、その方法を決めつけようなんて、都合がよすぎないか?それでは、主を迎える機会を逃し、主に拒まれるだろう。

 主は盗人のように来られると聖書にある。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」それが全能神の現れで成就したんだ。全能神の外見は普通の人と同じだし、普通の人のように話をされるから、主の現れと働きだとは誰も思わない。主が盗人のように来るという預言の成就だ。「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。」(ヨハネの黙示録 3:3)これは全能神の現れと働きが盗人のように、誰も知らないうちに全宗派に広がることを意味しているんだ。伝道者は、神様の出現を願う者に全能神の言葉を証しし、辛抱強く話をする。それこそが、主が戸を叩くこと。全能神が現れてからは中国政府から厳しい検挙や迫害を受け続け、宗教界の抵抗、非難や拒絶に遭ってきた。インターネットで公然と攻撃したり、冒涜したりする悪党どももいる。これも主の預言どおりだ。「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」 主が雲に乗って、公然と降りて来るなら、毒麦もヤギも、悪しきしもべも、反キリスト者もひれ伏すだろう。正体は暴けない。あくどい共産党や不信心者も全能神を受け入れる。世界は大混乱。では終わりの日の神の働きはどうなる?つまり、神様が受肉して出現し働くからこそ、終わりの日に主が戻り、働きを行うという主イエスの預言が完全に成就するんだ。全能神がすでに来られて、人類を清め救うために真理を示し、裁きをされているんだ。神の羊は神の声を聞き、賢い乙女は宗派に関係なく、全能神の語る言葉を理解した。それが真理で神様の声と知り受け入れたんだ。それが携挙だ。彼らは神様の御前に召され、裁きと刑罰を受けた。最初に清められ、勝利者となされ、最初の果実となった。黙示録の預言どおりだ。「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」(ヨハネの黙示録 14:4-5)神様が密かに来られ勝利者の集団ができれば、神様の働きは完了する。そののちに雲に乗って、全人類の前に現れる。みなが言う大々的な主の再来は、その時のことだ。黙示録1章7節にある。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。」 主が雲に乗って降りてこられる情景だよ。誰もが見るんだ。全能神に逆らい非難した者にさえ、雲に乗って来るお姿が見える。だからこそ「地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」とある。再来の預言は成就してきた。残るは、災害のあと雲に乗って、来られることだけ。

 全能神は言われます。「多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることをあなたは知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。「白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ」という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか。イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりするべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」より)

『待ち焦がれて』の映画台本から

 



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