「この道に学問いらん」
天理教の教祖が言ったという言葉です。
天理教に関係する人なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この道、とは教祖が示した神を信じる生き方のことです。
そうした生き方をする上で学問はいらない、とこういうことですが、
ではこの『学問』とは何を指すのでしょうか?
結論を言えば、これは『朱子学』のことです。
教祖が生まれ、70年を生きた江戸末期の日本で学問と言えば朱子学でした。
武士の学問として学ばれ庶民の間にも広がり、
その思想は女性の教育にも大きな影響を及ぼしていました。
朱子学は儒教的世界観を発展させたもので、身分社会を肯定する論理を持っています。
それを否定したのが、
「この道に学問はいらん」
だったのですね。
ですから、勉強しなくていいと言うような意味では全くありません。
勉強をしなくても教えを理解できるとかいう矛盾した解釈も成り立ちません。
「私が説いている教えは、世間で大事だと思われている学問とは全く異なるものである」
という教祖の宣言だったのです。
当時、これが周囲の人々に理解されたかどうか。
理解されていません。
というのも教祖が身体の生命を保っていたころから人々の関心は、
『世間といかに調和するか』
『軋轢を生まないか』
ということに最も集まっていたからです。
いわゆる道徳的なことです。
朱子学の中に含まれる儒教的価値観に沿った考えです。
その中に最も浸かっていた人は初代真柱です。
確かに権力からの弾圧は厳しかった。
当時の資料から窺えます。
苦しかったと思います。
ですが、当の教祖が権力や縦社会のありようを否定し真っ向から闘う人であったのに、
『認可を得る』
というようなことに肝心の真柱が腐心していたのです…
教祖の長男、秀司さんも同じです。
どれだけ教祖が孤独に生きていたか。
筆舌尽くし難い苦悩があったはずです。
教祖が語る神の意思は明白だったのに、ね。
教祖が帰幽されてから天理教はこれら中山家の人々とその後継者にとって運営されてきました。
教えを本当に正しく現代へ語り継いで行けているでしょうか?
今こそ勉強が必要です。
真の学問は霊的世界を知り、人間がこの世に生きる本当の意味を学ぶためのものです。