天理教でよく語られる『いんねん』についてのこと。
『前生のいんねん』
というふうに用いられます。
暗いイメージが付いていると思います。
一般に『いんねんをつける』とかいう使われ方もします。
明るいイメージは持てないし、できれば関わりたくないと感じさせますよね。
ですが『いんねん』という言葉の真実の意味は、
『霊的なつながりがある』
ということなんです。
霊的な縁だと言えます。
善も悪もない、フラットなものです。
しかしこの『いんねん』は、封建的な価値観とともにネガティブな意味で受け止められて伝えられて来ました。
「この世での苦しみは前生のいんねんが悪いからだ」
とかいう具合に。
この解釈は間違っています。
苦しみに見えるものは自分の精神の投影です。
いんねんのせいではありません。
自分自身とは精神そのものであり、世界そのものです。
この世界に生きる意味は、気づきの中にあります。
経験から得られる精神の拡張こそがこの世での本当に意義のあること。
生まれてくる前の記憶を生きながら辿ることはできませんが、確かにこの世界に目的を持って生まれて来ているんです。
自分の内側に目を向けてください。
霊的視点を持ち、精神の拡張に意識を向けることが必要です。
そのために生きているんです。
そもそもこの世に生まれてくる魂はすべて清らかです。
仮に前世の結果が振るわなくて地獄に落ちたような魂でも霊的に浄化されてから生まれてきます。
浄化のための場所が地獄です。
浄化が済んでから生まれてくる。
というか浄化されないとこの世には生まれられないのです。
なので、悪いものを抱えたままこの世に生まれてくる人間はいません。
宇宙ルートから来るような人間はまた別かも知れません。
もちろん天国からこの世に来る人もいます。
この世の生を生きるうちに低い波動に影響されて地獄に近づくということはあります。
「いんねん寄せて守護する」
と天理教の教祖、中山みきは語りました。
いんねんは霊的なつながりをあらわすので、
『霊的なつながりがある人たちを集めてこの世に生かす』
という意味になります。
『守護』というのは神の働きのことで、つまり天体の運行であるとか、地球環境であるとか、生態のメカニズムが機能しているとかいうことです。
そうした仕組みを『神の守護』と教祖は伝えました。
神の守護というシステムの中にいるということがこの世に生きているということになります。
霊的なつながりのある場所に、霊的なつながりがある人が集められて生まれてくるわけですね。
そうすると安心することができると思います。
私たちは見えない力…即ち神の意図によって縁ある魂どおし引きつけられ、この世での経験を通して成長するために生きている。
これが本当の教祖の世界観です。
教祖が生きた幕末から明治時代の日本は封建的な社会でした。
その影響で一見封建的な教えがあるように見えるのですが、教えの全体を見渡して整合するとそれらは社会に合わせて説かれているのであって本質は封建的なものとは違うということがわかります。
霊的目覚めを導くのが教祖の教えの本質です。
ひとりひとりが目覚める時が近づいています。