一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

私達(信者も未信者)の主イエズス

2016-12-22 07:32:45 | カトリック
イエズス・キリストは神です。神は三位一体であります。神は創造主、主宰者です。全知全能であり、どこにでもおいでになります。
一番最初の勉強すべきこの信仰箇条は、最低限抑えておきたいところです。しかし頭で知っていても、心に染み通っている人はますます少なくなっているように思います。「神の全知全能」「神の遍在」というものを理解されたとき、イエズス様に対する態度というものが自ずと分かってきます。イエズスは神です。崇拝の対象です。聖ヨハネの聖福音書に記されてる通り天の御父と全く等しく御父そのものです。決して私達と同等ではありません。
使徒継承の聖なるカトリック教会は、まさに主イエズスがお建てになった教会です。従って被造物である我々は、カトリック教会に属していなくてはなりません。ここ数十年カトリック教会に毒(新しい教え)が入ってきました。ここの教えでは、あらゆる宗教にも真理がいくらかあるので、それはそれで無限の愛である主はその人たちさえも救うという教えです。以前のカトリック教会は、カトリック教会のみが正しいというのは、排他的で愛のない考え方だったのでこれからはあらゆる宗教の人たちと共に平和を祈り、対話を通じて世界平和を築き上げていこうではないかというのです。
しかしここで上の信仰箇条を思い出してください。本当の神様はどなたでしょうか。創造主と被造物の関係はどうなってしまうのでしょうか。カトリック教会は誰がお建てになったのでしょうか。カトリック教会がもしも他の宗教と同様に、「あまたある宗教の一つ」としてこの世が理解したとしたら主にこれだけ失礼な話はあるでしょうか?唯一の救いのために存在するカトリック教会なのに、忘恩と言わないでなんなのでしょうか。
よく私はカトリック教会は昔は教条的だったが今は違うという人をカトリック信者の中に見かけます。いいえ。カトリック教会は今も昔も教条的なのです。教義を知らずしてカトリック信者は名乗れません。
十戒の第一戒「われはなんじの主なる神なり、われのほか、何者をも神となすべからず」です。従って人々をカトリックに改宗させる目的のない、宗教対話や祈りは主に対する裏切りだと私は思います。
昔は成人の方の洗礼も五年はかけていた時代があったようですが、現在は平均一年も満たないのだそうです。教会によっては要理ではなく、聖書を読んで雑談で終わるという事があるそうです。洗礼を受けてから色々知ったという人もいます。洗礼が原罪と自罪を洗い流し主とともに生まれ変わり、天国に入る権利を受ける大切な儀式が、いつの間にか「信者になるための儀式」「入門の秘跡」という概念に置き換えられています。
聖なるカトリック教会の教えは私達に分かりやすいように公教要理にまとめてあります。それを文字通りに解釈するだけです。それ以上もそれ以下もありません。