一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

供え物

2017-03-21 07:47:22 | カトリック
彼岸に入りお墓参りをする方を見かけます。営業の仕事お客様の家に訪問させて頂きますが、果物や菓子、花を供え物として仏壇に飾る人もいます。
買い物先でもそのような果物のセットやお花も置いてあります。この「お供え物」の意味調べて引用すると「お仏壇の中心にいる仏様に対して感謝の想いや敬意を表して、まずお供えをする、という意味もあります」とあります。神道が融合した『葬式仏教』と言われるこのうな宗教が、お盆や彼岸になると行うこの信心に対して、私たちカトリック信者は何をしているのでしょうか。
私たちの場合、私たち自身を「お供え物」として神様に捧げなくてはいけません。私たちの信仰は、創造主と被造物という明確な関係をよく知っています。人祖の罪以降私たちは、罪への傾きと罪の実行によって苦しんで来ました。罪の赦しのために様々な生け贄や犠牲を捧げてきたのです。そして救世主が来られてからは、完全な生け贄として『ミサ』が存在しています。それまで不完全な生け贄ではありましたが、私たちの最も大切なものを燃やして神様にお捧げをしていました。しかし、聖変化の瞬間によって神の子羊を天の御父にお捧げすることによって『完全な生け贄』になりました。このミサは私たちの最も大切な祈りであり私たち自身も捧げなくてはいけないのです。ですからミサの間、それに相応しい格好をされていますか?天下る神御人身に対してどのようにお迎えなさっていますか?形だけ捧げていませんか?形さえも捧げていませんか?遅刻しているにも関わらず御聖体を受けていませんか?
ミサは彼岸やお盆の時だけでに行えば良いものではありません。教会は信者に、主が復活された主日(日曜日)を聖なる日として、ミサに敬虔に与る掟を定めています。そして司祭には毎日ミサを捧げるように定めています。
私たちが、主の御怒りから免れているのは尊い司祭の日々捧げる完全な生け贄としてのミサのおかげなのです。
ミサを打ち続ける聖なる司祭が与えられますように祈りましょう。聖母マリア様に祈りましょう。