今一度この画像をご覧下さい。これは手でイエズス様を受けることの危険性を表しています。心がすごく痛みますがこれは現実です。
ある海外の神学生が実際ホスチアの粉がどのように手に付着するかを手袋を使って数回実験した画像があります。実験中全ての回で付着が認られました。以下の画像です。言葉よりも雄弁に物語っていますのでこれに関しては多くは書きません。
前回、私はコロナ対策以前にまずイエズス様が私たちにとってどういうお方なのかをまず考えるべきだ、と提案しました。
東京大司教区では21日から『公開ミサ』が徐々に解禁されるようです。それでも東京大司教区の大司教さまは以前の状態には戻らないだろうとした上で以下の指針が出されました。
5:しばらくの間、ミサでの奉納も行いません。またしばらくの間、口(舌)での聖体拝領を控えてください。
とあります。これに対してメールを送らせて頂くとすぐに返事がありました。
「口の方が安全」「手の方が安全」「どちらも差はない」等、様々な意見があり、見解が統一されてないということで、消毒を徹底した上で手での聖体拝領をするという旨のメールを頂きました。つまり東京大司教区は手の方が安全だという選択をしたということになります。
しかし、何度も申し上げていますが、私たちはコロナ以前にイエズス様の体についての事を考えなくてはいけません。信仰を優先するのが私たちの正しい判断では無いでしょうか。
聖体拝領は必ずすべきものではありません。もともと恩寵の状態でしか受けられるものではないのです。ですのでもし上の画像を思い起こして頂けるならば、手での聖体拝領しか許されないのであれば、イエズス様をお守りする意味で霊的聖体拝領を私は強くおすすめします。
聖マタイの聖福音に次の箇所を私は思い出しました。
『イエズスはふり向き、ペトロに向かって言われた、「サタン、引き退れ。私の邪魔をするな。あなたが思っているのは天主の考えではなく人間の考えだ」』