私のMP3プレイヤーには、よく聞く曲の順位が分かる機能があります。
上位を占めているのは、MOONCHILDの全3枚のアルバムからチョイスされているようです。
私が生まれて初めて購入したアルバムは、2ndアルバムの「MY LITTLE RED BOOK」。「ESCAPE」や「アネモネ」なんてメジャーな曲が入っていますが、現在に至る私のヘビーローテの一翼を担っているのは「ララバイ」。出色の出来です。
3rdの「POP AND DECADENCE」は、皮肉の効いたタイトル通り、彼ら特有の醒めた情熱が冴え渡る、実験的で意欲的なラストアルバムとなっています。
王道の「完結編」とはまた違う、職人的な撤退戦略の鮮やかさが際立っています。
1stの「タンバリン」からこのアルバムまでを連続して聞いて感じるのはその態度です。通底するのは、音楽をビジネスというタームで捉えて、芸術としてではなく一種の商品として送り続けたことです。クールな態度を取り続け、アルバムを作るたびに技術とは別に、態度を先鋭化していたことが伺えます。
それは、その当時有象無象にいたビジュアル系(のナルシスティックでパセティックな態度)とは一線を隔する、「MOON CHILD」の唯一無二性を担保している態度なのです。
若かりし私は、そういうクールな態度が自分にはない貴重なものと映って、いっそう熱中したものです。
……ではなく、アルバムを全曲通じて聞くことが少なくなったな、というお話です。
ここ最近は誰が誰だか分からず、CDTVを見ても「また君に恋してる」しか分からないなんて体たらく。全国の女子高生の皆さんとカラオケに行く機会があっても、YUIだのJUJUだのGAGAだのJOJOだの何が何だか分かりません。イタリア語表記だとGIOGIOですね。
多分、普通の人が綾波とタバサとヘカテーとサーニャとノエルの違いが分からない感じと似ていましょう。
また、アルバムも、専らベスト盤を借りて、さも昔から聞いてた風を装うような面の皮の厚いファック野郎に成り果てています。
今の音楽事情にキャッチアップできないのは体力的な理由がありますが、アルバムの捨て曲を捨てるような腰の引けた態度は、上記のように、音楽に対する真摯な想いが低下したからなんでしょうか。
私が「MOON CHILD」のアルバムについて今でも熱く語れるのは、偏に身銭を切ったからであります。
そのアルバムを買ったらもう何も買えないけど、今手に入れなかったらダメだ、という非常に切迫した想い、事情が故でした。
別にダメでも何でもないし、単に購買意欲、あるいは欲望への耐性がついていなかっただけではありますけど、何かに焦がれるあの感じは失って久しい感覚ではあります。
身銭を切る、含蓄がある言葉ですね。
以前も言いましたが、デジタル化が進むにつれ、可用性は高まります。
かつてレコード何枚にも収められていたものが、CD一枚に収まり、そのCDの何百枚分のデータが持ち運びすら可能なデバイスに収容されてます。
人の生涯音楽受容量は飛躍的に高まりはしましたが、処理可能な量は限界があります。
それは、HDD容量ばっかり増やした低メモリのPCのようですが、フリーズを起こす几帳面さを持ち合わせていないことが、人の持つ能力でもあります。
一つのタスク(曲)にかける処理を減らすことが、人間の取り得る処理の一つでありましょう。
また、そういう内的な理由とは別に、ネットでの価値は、リアルの何十分の一になってしまう、という外的な理由が存在します。
ネットの利点は配送やら在庫といったリアルに存在するだけでかかるコストの問題がだいたいクリアされる点です。
私のような消費者にとっては安くなることは喜ばしいことなのですが、上記のような身銭問題にとっては大変重要なファクターとなります。
安くて大量にあるものは、価値がそれだけないということです。
こういう事情が私のアルバムへの情熱を低くしているんでしょう。きっとそうだ。
私の場合「アルバム一枚を3000円で月一」位が最も思い入れを持てる量です。
別の人は「レコード一枚を擦り切れるまで聴いていた」ことをもって、最適な量と言うでしょう。
若い人なら、「ランキング上位のやつは片っ端からDLだ」とか言いそうです。
まあ、そこは「どれが正解」という考え方が不正解な質のものなので答えは出ませんが、人それぞれやり方と量が違っても、両手で抱えられるのは誰にも限界があることは確かでしょう。
昔の人は過ぎたるは及ばざるが如し、なんて語感がいい言葉で表現しましたが、そういうことではないでしょうか。
需要と供給の関係は、個人個人が好き勝手振舞っても、全体としてはうまくいく、とスミスさんは仰いました。
それを曲解すれば、私が感受できる「月一でアルバム一枚」を超えて、欲するがままに音楽を享受するような量も、現在の環境下では適切な量となり、音楽界隈が賑わう一助になり得る、ということでしょうか。
一回も聞いたことがないアルバムが何枚もMP3プレイヤーに入っている状況は、作り手への敬意の欠如にも感じられます。
そして、限定条件があって最高のパフォーマンスをする人間のマゾヒスティックな能力も忘れてはなりません。
だからといって、アルバムタイトルと共に曲順まで脳裏で再生できるような聞き込みようはもう腰にくるので悩ましい限りです。
しかし、そういう気合の入ったリスニングは、かけがえのない体験となりえ、私にとって失われた技術です。
若い奴が妬ましい。
上位を占めているのは、MOONCHILDの全3枚のアルバムからチョイスされているようです。
私が生まれて初めて購入したアルバムは、2ndアルバムの「MY LITTLE RED BOOK」。「ESCAPE」や「アネモネ」なんてメジャーな曲が入っていますが、現在に至る私のヘビーローテの一翼を担っているのは「ララバイ」。出色の出来です。
3rdの「POP AND DECADENCE」は、皮肉の効いたタイトル通り、彼ら特有の醒めた情熱が冴え渡る、実験的で意欲的なラストアルバムとなっています。
王道の「完結編」とはまた違う、職人的な撤退戦略の鮮やかさが際立っています。
1stの「タンバリン」からこのアルバムまでを連続して聞いて感じるのはその態度です。通底するのは、音楽をビジネスというタームで捉えて、芸術としてではなく一種の商品として送り続けたことです。クールな態度を取り続け、アルバムを作るたびに技術とは別に、態度を先鋭化していたことが伺えます。
それは、その当時有象無象にいたビジュアル系(のナルシスティックでパセティックな態度)とは一線を隔する、「MOON CHILD」の唯一無二性を担保している態度なのです。
若かりし私は、そういうクールな態度が自分にはない貴重なものと映って、いっそう熱中したものです。
……ではなく、アルバムを全曲通じて聞くことが少なくなったな、というお話です。
ここ最近は誰が誰だか分からず、CDTVを見ても「また君に恋してる」しか分からないなんて体たらく。全国の女子高生の皆さんとカラオケに行く機会があっても、YUIだのJUJUだのGAGAだのJOJOだの何が何だか分かりません。イタリア語表記だとGIOGIOですね。
多分、普通の人が綾波とタバサとヘカテーとサーニャとノエルの違いが分からない感じと似ていましょう。
また、アルバムも、専らベスト盤を借りて、さも昔から聞いてた風を装うような面の皮の厚いファック野郎に成り果てています。
今の音楽事情にキャッチアップできないのは体力的な理由がありますが、アルバムの捨て曲を捨てるような腰の引けた態度は、上記のように、音楽に対する真摯な想いが低下したからなんでしょうか。
私が「MOON CHILD」のアルバムについて今でも熱く語れるのは、偏に身銭を切ったからであります。
そのアルバムを買ったらもう何も買えないけど、今手に入れなかったらダメだ、という非常に切迫した想い、事情が故でした。
別にダメでも何でもないし、単に購買意欲、あるいは欲望への耐性がついていなかっただけではありますけど、何かに焦がれるあの感じは失って久しい感覚ではあります。
身銭を切る、含蓄がある言葉ですね。
以前も言いましたが、デジタル化が進むにつれ、可用性は高まります。
かつてレコード何枚にも収められていたものが、CD一枚に収まり、そのCDの何百枚分のデータが持ち運びすら可能なデバイスに収容されてます。
人の生涯音楽受容量は飛躍的に高まりはしましたが、処理可能な量は限界があります。
それは、HDD容量ばっかり増やした低メモリのPCのようですが、フリーズを起こす几帳面さを持ち合わせていないことが、人の持つ能力でもあります。
一つのタスク(曲)にかける処理を減らすことが、人間の取り得る処理の一つでありましょう。
また、そういう内的な理由とは別に、ネットでの価値は、リアルの何十分の一になってしまう、という外的な理由が存在します。
ネットの利点は配送やら在庫といったリアルに存在するだけでかかるコストの問題がだいたいクリアされる点です。
私のような消費者にとっては安くなることは喜ばしいことなのですが、上記のような身銭問題にとっては大変重要なファクターとなります。
安くて大量にあるものは、価値がそれだけないということです。
こういう事情が私のアルバムへの情熱を低くしているんでしょう。きっとそうだ。
私の場合「アルバム一枚を3000円で月一」位が最も思い入れを持てる量です。
別の人は「レコード一枚を擦り切れるまで聴いていた」ことをもって、最適な量と言うでしょう。
若い人なら、「ランキング上位のやつは片っ端からDLだ」とか言いそうです。
まあ、そこは「どれが正解」という考え方が不正解な質のものなので答えは出ませんが、人それぞれやり方と量が違っても、両手で抱えられるのは誰にも限界があることは確かでしょう。
昔の人は過ぎたるは及ばざるが如し、なんて語感がいい言葉で表現しましたが、そういうことではないでしょうか。
需要と供給の関係は、個人個人が好き勝手振舞っても、全体としてはうまくいく、とスミスさんは仰いました。
それを曲解すれば、私が感受できる「月一でアルバム一枚」を超えて、欲するがままに音楽を享受するような量も、現在の環境下では適切な量となり、音楽界隈が賑わう一助になり得る、ということでしょうか。
一回も聞いたことがないアルバムが何枚もMP3プレイヤーに入っている状況は、作り手への敬意の欠如にも感じられます。
そして、限定条件があって最高のパフォーマンスをする人間のマゾヒスティックな能力も忘れてはなりません。
だからといって、アルバムタイトルと共に曲順まで脳裏で再生できるような聞き込みようはもう腰にくるので悩ましい限りです。
しかし、そういう気合の入ったリスニングは、かけがえのない体験となりえ、私にとって失われた技術です。
若い奴が妬ましい。
8万で童☆貞買ってもらったぜ!!
しかも生セックルな!めちゃ気持ちよくて、軽く昇天しかけたっての!!(爆)
てかこんなの知ったら、もうオ ナ ホとか使う気おきねぇwwwww
包 茎 マ ニ アに6万で買ってもらった!!!!
カリと皮の間に舌入れられるのヤベェよ!!トリハダ立ちまくり!!
こんだけ綺麗に舐めてもらったら、もう風呂入る必要ねーな!!(笑)
http://tuki.imageoff.net/oivtg7j/
わかるような気がするな~。若い頃は意識しなくても「今流行ってる曲」は歌えたのにね。TRFとか…。
そんな今の私のヘビロテは、Perfume(笑)とJUJU(笑)です。