自己認識改善法仮説
1.注射を頑張って我慢して受けている小児がんのお子さん、特別養護ホームで褥瘡が出来つつも治療生活を頑張っている高齢の方、脳内で出血して手術を受けリハビリを乗り越えようとしている会社員の方、障がいを克服して就職を日夜目指して作業所に通っている方、私の立場では想像でしかありませんが、辛い心境で普通は諦めそうな場面で踏みとどまって頑張っている方々が想像するに多くいます。愛玩動物とされる犬や猫も、殺処分や飼育放棄の現実の中で言葉を出す事も出来ないまま必死に生きようとしています。そう思うと、自分も諦めず頑張ろうと思います。
2.自己認識改善法について|自己認識改善法とは、極力自ら表出表現されたものから苦しい認識を感じ取り、より良い方向へ認識を改善し、苦しみを緩和する手法(仮説)です。完全な幸福はない、完璧な不幸もない、両極の幸不幸はなく、小さな幸せを大切にしつつ、いまある小さな幸せを組み立てて大きな幸せで心を満たす方法・考え方です。そう考えた方が、完全にうち委ひしがれてしまう、絶望し叩きのめされる事がないと思います。他者や社会、信仰を信頼する前に、信じ愛するべきは自分自身、自分を大切にする扱うという事が重要と考えます。神様は各自の心の中にいる、自分たちの神様のみでなく、1人1人の心の中にいる神様を大切にするという態度が大切だと思います。(芸術の技法研究)マニュアル露出基本撮影加法混色調整法とは、露出・色彩・焦点を基本的な写真映像の要素として、相反則と補色の原理で一貫して撮影調整、プリントする手法です。近似的白鍵トライアド奏法とは、数学的な近似的な考え方で音楽鍵盤を捉えた奏法です。(松岡祐貴)
松岡祐貴
(卒業制作のアイディアスケッチ)
脳の中では、3つの領域が独立に存在する。
音楽や絵画は右脳(それぞれ独立)、
言葉を司る領域は、それらを連合する左脳にある。
漫画や詩・歌詞は、それぞれ絵画、音楽にも近く、
文節的な意味からも離れず言葉の領域にも近い。
言葉は、脳科学的にみると音楽(耳)と絵画(眼)を繋ぎ、
同じにする働きがある。
養老孟司『遺言』新潮社より要約
1997『東京夜曲』(松竹)
監督:市川準
脚本:佐藤信介
俳優:長塚京三、倍賞美津子、
桃井かおり、上川達也
浜中(主人公)の女性問題や過去について
疑念を持ち調べようとした若者が
その過去を知った上で静かに
そっと離れてゆくという物語。
人間の性(さが)や感情は
複雑怪奇なもので織りなされ
割り切って断罪することは出来ない、
そう感じて浜中の裁判官たろうとした若者は
静かに離れたのではないか。
随所に挿入される東京の夜景は
インサートイメージになっていて
この映画の主旋律・主題となる映像となっている。
抑々私の夢は看護師でしたので、
高校を卒業すると看護専門学校へ進学しました。
幼い頃からの夢に向かって歩き始めた私は
それまで悶々と過ごしていた子供時代を
上書きするかの様に、
一心不乱に看護を学びました。
田舎にある農家の離れに下宿して
ただただ学校と実習病院との往復。
悔しさや意地の様なものをバネにして
頑張っていた気がします。
思春期特有の孤独感、自信のなさ、人と比べて感じる虚しさ、
期待に応えられないもどかしさ、力も根拠もないくせに
無性に反発したくなる衝動。
それでも自分を諦めないぞっていう気持ち。
国家試験に合格し、とうとう看護師になったかというと
違うのです。
看護の勉強や病院実習、子供の施設でのアルバイトなどを通して
別の道を志す様になっていました。
綺麗な顔立ちに美しい優しい言葉選び、
とても知的な子でした。
その子はクラス全員から
初めは女子から、それをみた男子から
総員から無視を受けていました。
―どうしてよいのか、心臓がドキドキバクバクして
息が出来なくなりそうでした。
思い切って母に打ち明けたら
学校に連絡がいって
今度は憎しみのレベルにいじめが変化しました。
誰も守ってはくれなかった。―
寄り添ってあげられなかった
その子との出逢いによって
子供に寄り添うお仕事
養護教諭を目指す様になりました。