何がしかのサポートがあれば、
自分でも母と向き合えるのではないか、
介護に向き合えるのではないか、
少なくとも、母をどうでもよいとは思えないのは
介護職に向くのではないかと思います。
高齢になると、気持ちが変化するのではないか、
病気も認知症と結びつくのではないかと思います。
寄り添える様に。
何がしかのサポートがあれば、
自分でも母と向き合えるのではないか、
介護に向き合えるのではないか、
少なくとも、母をどうでもよいとは思えないのは
介護職に向くのではないかと思います。
高齢になると、気持ちが変化するのではないか、
病気も認知症と結びつくのではないかと思います。
寄り添える様に。
そんなにして迄、何故SNSを駆使して、
誹謗中傷を受けて迄、発信するのか、
それはひとえに、優しい社会を望むからです。
誰か特定の人物や団体を攻撃し、
社会的な弱者もマイノリティも含めて
「お前の責任だ」と自己責任で片づけ、
それで事足りる社会ではなく、
何度でも何処からでもやり直せる
優しい社会を標榜し希望するからです。
そのことに命を懸けていいとさえ思っています。
糖尿病性網膜症という合併症、
他にも様々な危険があります。
身体の奥にある膵臓の病気なので
一度なると中々今の医学では治せません。
母と其れでも暮らすのは、
可哀想な面があるからです。
見捨てられません。
皆さんも糖尿病に罹患すると
大変なことになります。
健康管理にはお気をつけてください。
他の方(特に地域の方)からみて
大学の卒業、フォトコミュニケーションというに充分な
学びをしていると思います。
被写体の見つけ方:写真表現へ(藝術学舎)、芸術史講義/ヨーロッパ3、
写真演習Ⅲー1(ポートフォリオ)、日本の絵画表現1~4
(イメージ探究でリベラルアーティストの資格申請をします)、
保健医療心理学特論、障がい児障がい者心理学特論、
臨床心理学特論(放送大学)の以上7科目
を最期に写真の授業受講は学び終わりとします。
ポートフォリオ、デジタルプレゼンテーション、
ライティング基礎、芸術史講義/日本4ほかは
準備がある程度出来ていましたが、未受講(受講しない)とします。
それ以降の授業、それ以外の授業(放送大学の授業も)も申請はしない、
或いは本を読む程度におさめます。
クレバーな賢い選択肢は幾らでもあります。
何処か他の国の知らない大学に入ることも不可能ではありません。
そもそも挑戦しなければ、何も起きないです。
感情的な諦めや見捨てはあります。
海外は、個やボランティアを大切にするので
そういうことに比較的、寛容だと思います。
日本でも、そうなって欲しいです。
それでも逃げずに正々堂々、闘うことだと思います。
「写真で人を助けたい」と思った
初心を忘れない様にします。
その後、どうするかは自由だと思います。
こう考えるのは、京都芸術大学の先生がた、先輩、後輩、同期
の存在があるからだと思います。