祖母

2005-05-13 16:10:32 | FAMILY
先日、父方の祖母が亡くなりました。
結婚前は一緒にすんでいた祖母です。
大正3年生まれ、数えで92歳ですので大往生ですよね。
私もとても可愛がってもらいました。

私が小学校4~5年生頃に祖父が亡くなったのですが、
その当時は今のように団地住まいではなく普通の家で隣組もしっかりしていたので、
わからないことがあっても誰かしらが知っていたり、
この人に聞けばわかるよというお年よりもいらっしゃったことだと思います。
最近では個々の家が隣と極力付き合いしない傾向というのもあるし、
お勤めしてらっしゃる方が多いので、どうしても近所のつながりが薄いです。

お葬式ひとつ出すにしても、昔と少々変わってきてるところもあるし大変です。
わからないことがあっても葬儀屋さんにしか聞けないし・・・
次々と決めなくてはいけないことが出てくるし、悩んでる間なんてないです。
喪主は父なので、私が行ったときに葬儀屋さんと打ち合わせをしてました。

家族が亡くなっても悲しんでる暇なんてないんですね。
でもそのほうが気持ちも紛れていいんでしょうけど。。。
そもそも、亡くなってすぐに葬儀屋さんとお金の手配をしにいったん病院から家に戻り、
私が病院に着いたときも、父と母は飛び回っていました。

うちの場合は祖母が痴呆になっていたうえに動けなかったので
直接的な介護は全面的に母がやっていました。
父は祖母に対する照れもあるのか間接的な介護でした(笑)
祖母自体も可愛いおばあちゃんっていうタイプではなかったですね
父に対しても母に対しても憎まれ口ばかり言っていました。
私にはそんなことなかったですけど(たまにしか会わない孫ですし)
まだ痴呆なりたてのころ、事あるごとに『死にたい』って洩らしていたそうです。
でも祖母は心臓が強かったので長生きするというお医者様の太鼓判をもらっていましたから(笑)

そんな祖母ですが、ショートステイの間のちょっとした事故で頭を打ち
3日もたたないうちに亡くなってしまったのです。歳をとると回復力も落ちますしね。
でも苦しまずに逝ったのだけが良かったねって皆で言ってたんです。
心臓が強いと苦しみそうですよね(←ひどい孫です

口の悪さも有名な祖母でしたね。
余計な一言がでてしまうんですよ(笑)
本人はいたってケロッとして言うのがもめる元です。
母はいつもフォローして回ってました

祖父とは絶対に同じお墓に入りたくないと言っていたそうですが、
だんだん歳をとるごとに夫婦の絆も出来ていったんでしょうか。
昔は自分の気持ちなんて関係なしの親に決められた結婚だったんですよね。
祖父と祖母もそうだったらしいです。
それでも子供を3人儲け、家族として暮らしていました。
祖父は私が物心ついてからの姿はかなり弱弱しいお年寄りでした。
あまりしゃべってる姿も思い出せませんが、私たち孫には優しいおじいちゃんでしたよ。
あ、『水戸黄門』のドラマを見て、いつも涙を流しながら
黄門様を拝んでる姿はよく憶えています(子供心に不思議でした)

祖父と祖母の仲も良いようには見えなかったですね(孫の目から見ても)。
同じお墓に入りたくないという事はその様子から見てもなんとく納得できます。
でも祖父のお葬式で最後のお別れのとき、祖母が号泣してるのを見て、
『やっぱりおばあちゃんもおじいちゃんが好きやったんか~』と思いました。

祖母が亡くなったのは5月9日です。
祖父が亡くなったのは11月9日なんです。
なんと驚いたことに月命日が一緒になるんですよね。
仲が悪かったくせに、同じ日ってすごいと思いませんか?
すると叔母の口からもっと驚くことが聞けました。

『もうずっとおじいさんに迎えに来てなって拝んでる』って祖母が言ってたらしいんです。
あんなに同じお墓に入るのを嫌がってたくせに。。。人間って変わるんですね。

母が肩をこわして手術しなければならないことも控えていたし、
手術してしまうと3ヶ月間はリハビリなんかで祖母の介護が出来ないんです。
なので3ヶ月間預かってもらう所も探していたところでした。

祖父が『もうそろそろ行こか』なんて言いながら祖母を迎えにきたようにしか思えません。
祖母も口では憎まれ口ばかり言って母を困らせていましたが、
そんな偶然が重なることから見ても、きっと母に感謝していたんだと思います。
最後の最後にこんな形での祖母と祖父からのプレゼントですね。



もうここ最近、笑った顔を見せなかった祖母が笑ってる写真です。
春休みに帰ったときに惣次郎を抱っこしてもらって写しました。
笑顔の祖母・・・貴重ですよ(どんな祖母やねん)